2005年10月21日 (07:31)
現象学の差異論化としてのポストモダニズム:結晶としての不連続的差異論
以下のクォリア理論の説明は、やはり、現代哲学をはずしている、物質中心主義的発想である。日本の科学者における哲学的遅れがある。ポストモダニズムが、現象学を乗り越えようした事態であることを、理解していない者が多いようである。簡単に言えば、現象学の差異化をポストモダニズムは志向していた。物質的次元の差異化ではないのだ。超越論的差異論、プラトニズム的差異論を志向していたのであり、この志向は、結局、不連続的差異論として結晶したと考えられるのである。
また、今日、思うに、ポストモダニズムを経てきていない学術がたくさんあるように思われる。しかし、問題点は現実に残っているのであり、理論的に回避しようとしても、ポストモダニズムの志向した問題を究明せざるをえないであろう。そう、超越論的形式ないし構造までは、行き着いたのであるが、そこから、後退しているのだ。構造を差異化しようとして、混乱してしまったのである。構造は、超越論的次元にあるのだから、差異化は、当然、超越論的次元で起こるのである。柄谷行人は、この点で、失敗挫折したのである。
では、これを具体的に考えるとどうなのだろうか。使用価値/交換価値の相補性を考えてみよう。これは、差異価値/交換価値と換言できある。今日、資本主義は、差異価値に基づいているだろう。差異化である。ファッションを見れば、わかりやすい。差異化、個化、特異性化である。これは、超越論的差異の次元から発している。つまり、イデア界から発しているのだ。今日、21世紀資本主義は、イデア界的である。この意味を捉えない政治・経済は致命的である。郵政民営化、「改革」とは資本主義の論理であり、民主党が敗れたのは、社会主義的論理、官営資本主義の論理を残していたからだろう。確かに、首相はパフォーマンスという点で問題点があるが、しかし、首相は「郵政民営化」、「改革」という特異性を強調したことを認めないといけない。小泉首相の論理は不連続的差異論的ではないだろうか。新自由主義は、不連続的差異論的ではないか。もっとも、すべて肯定しているわけではなくて、ポスト新自由主義、脱新自由主義を考えてのことである。
思うに、新自由主義には、超越論的差異の次元があるように思える。これが、新しい資本主義である。脱近代的資本主義である。ポストモダン資本主義である。現代、この転換期にあるようだ。新自由主義は、不連続的差異論を内在・潜在しているだろう。これを全面的に展開する必要があるだろう。反動はだめである。柄谷行人のように近代主義に逆行してはおしまいである。とまれ、新自由主義は、差異化を徹底するはずであり、それは、自らを超克しなくてはならないだろう。何故ならば、グローバル経済は閉鎖系だからである。差異を創出しなくては、新しい秩序は生まれないからである。新自由主義という悪魔は、天使を内在させているだろう。悪魔/天使的新自由主義である。
後で、もう少し考察を続けたい。
「
クオリアは、「赤い感じ」のように、私たちの感覚に伴う鮮明な質感を指します。クオリアは、脳を含めての物質の物理的記述と、私達の心が持つ様々な属性の間のギャップを象徴する概念です。クオリアが脳の中のニューロンの活動からどのように形成されてくるかということは、私たちの脳における情報処理を特徴付ける「統合された並列性」を解く上で重要な鍵になっています。クオリアの研究は、私たちの意識、主観的経験が物質的過程であるニューロンの活動からどのように生まれてくるかを明らかにする上で本質的であるとともに、C.P.Snowの言った「二つの文化」の間の溝を埋める可能性につながります。「クオリア・マニフェスト」は、未来において科学的及び文化的に重要な意味を持つであろう「クオリア」を巡る人類の知的挑戦に関するミッション・ステートメントです。」
「クオリア・マニフェスト」
http://www.qualia-manifesto.com/index.j.html
また、今日、思うに、ポストモダニズムを経てきていない学術がたくさんあるように思われる。しかし、問題点は現実に残っているのであり、理論的に回避しようとしても、ポストモダニズムの志向した問題を究明せざるをえないであろう。そう、超越論的形式ないし構造までは、行き着いたのであるが、そこから、後退しているのだ。構造を差異化しようとして、混乱してしまったのである。構造は、超越論的次元にあるのだから、差異化は、当然、超越論的次元で起こるのである。柄谷行人は、この点で、失敗挫折したのである。
では、これを具体的に考えるとどうなのだろうか。使用価値/交換価値の相補性を考えてみよう。これは、差異価値/交換価値と換言できある。今日、資本主義は、差異価値に基づいているだろう。差異化である。ファッションを見れば、わかりやすい。差異化、個化、特異性化である。これは、超越論的差異の次元から発している。つまり、イデア界から発しているのだ。今日、21世紀資本主義は、イデア界的である。この意味を捉えない政治・経済は致命的である。郵政民営化、「改革」とは資本主義の論理であり、民主党が敗れたのは、社会主義的論理、官営資本主義の論理を残していたからだろう。確かに、首相はパフォーマンスという点で問題点があるが、しかし、首相は「郵政民営化」、「改革」という特異性を強調したことを認めないといけない。小泉首相の論理は不連続的差異論的ではないだろうか。新自由主義は、不連続的差異論的ではないか。もっとも、すべて肯定しているわけではなくて、ポスト新自由主義、脱新自由主義を考えてのことである。
思うに、新自由主義には、超越論的差異の次元があるように思える。これが、新しい資本主義である。脱近代的資本主義である。ポストモダン資本主義である。現代、この転換期にあるようだ。新自由主義は、不連続的差異論を内在・潜在しているだろう。これを全面的に展開する必要があるだろう。反動はだめである。柄谷行人のように近代主義に逆行してはおしまいである。とまれ、新自由主義は、差異化を徹底するはずであり、それは、自らを超克しなくてはならないだろう。何故ならば、グローバル経済は閉鎖系だからである。差異を創出しなくては、新しい秩序は生まれないからである。新自由主義という悪魔は、天使を内在させているだろう。悪魔/天使的新自由主義である。
後で、もう少し考察を続けたい。
「
クオリアは、「赤い感じ」のように、私たちの感覚に伴う鮮明な質感を指します。クオリアは、脳を含めての物質の物理的記述と、私達の心が持つ様々な属性の間のギャップを象徴する概念です。クオリアが脳の中のニューロンの活動からどのように形成されてくるかということは、私たちの脳における情報処理を特徴付ける「統合された並列性」を解く上で重要な鍵になっています。クオリアの研究は、私たちの意識、主観的経験が物質的過程であるニューロンの活動からどのように生まれてくるかを明らかにする上で本質的であるとともに、C.P.Snowの言った「二つの文化」の間の溝を埋める可能性につながります。「クオリア・マニフェスト」は、未来において科学的及び文化的に重要な意味を持つであろう「クオリア」を巡る人類の知的挑戦に関するミッション・ステートメントです。」
「クオリア・マニフェスト」
http://www.qualia-manifesto.com/index.j.html

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