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2007年11月18日 (12:50)

ゾロアスター教とキリスト教と神道:トランス・キリスト教とMedia Pointと新神道

いろいろ思念が心頭にあるが、余裕がないので、ここで簡単に記すに留める。
 たまたま、文語訳の聖書があり、それを開いて、拾い読みするのであるが、文語体なので、言葉の繋がり(シンタクス)がわかりにくいが、やはり文語体のもつ日本語の力にあらためて、驚く。旧新約聖書―文語訳 (単行本)
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A7%E6%96%B0%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8%E2%80%95%E6%96%87%E8%AA%9E%E8%A8%B3/dp/4820212354/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1195358430&sr=8-1
 
 少し引用しよう。


『太初(はじめ)より有りし所のもの、我らが聞きしところ、目にて見し所、つらつら視て手触りし所のもの、即ち生命(いのち)の言(ことば)につきて、ーーーこの生命すでに顕(あらわ)れ、われら之(これ)を見て証(あかし)をなし、その曾(かつ)て父と偕(とも)に在(いま)して今われらに顕れ給(たま)へる永遠(とこしえ)の生命を汝(なんじ)に告ぐーー

  ・・・

我らが彼より聞きて、また汝らに告ぐる音信(おとづれ)は是(これ)なし、即ち神は光にして少しの暗き所なし。もし神と交際(まじわり)ありと言ひて暗きうちを歩まば、我ら偽りて真理(まこと)を行(おこな)はざるなり。もし神の光のうちに在(いま)すごとく光のうちを歩まば、我ら互いに交際を得、また其(そ)の子イエスの血、すべて罪より我らを潔(きよ)む。』

「ヨハネの第一の書」第一章:第一節~第七節


 さて、キリスト教が単にユダヤ教だけでなく、ゾロアスター教の影響を受けて成立したことは史実である。そして、このことが一般には認識されていないと思う。善悪二元論、光闇二元論、そして、最後の審判、等は、ゾロアスター教に由来しているのである。
 私はゾロアスター教は偉大な宗教と思っている。非常に、尊い宗教だと思っている。(作家のメルヴィルや哲学者ニーチェが、ゾロアスター教に触れているのは、天才的な慧眼である。p.s. モーツァルトの『魔笛』も挙げておこう。)
 そう、直感では、仏教の光の思想もここから発している。阿弥陀如来、大日如来、等の思想の源泉はここにあると思う。
 思うに、ゾロアスター教と並ぶ霊統は神道であろう。アフラマズダの光と天照大神の光は偉大な二つの霊統の光である。もっとも、根本は同一であるが。
 さて、問題を述べるが、それはキリスト教の問題である。(マニ教の問題があるが、それは今後の課題としておく。)
 イエス・キリストは神の子であるが、聖書では、神の子とは、イエス・キリストだけに限定されないのである。

『視よ、父の我らに賜ひし愛の如何に大なるかを。我ら神の子と称(とな)へらる、既に神の子たり、世の我らを知らぬは、父を知らぬによりてなり。愛する者よ、我等(われら)いま神の子たり、・・・』「ヨハネの第一の書:第三章」

ここでは、父があり、子があるのであり、父が決定的に重要である。父とは何か。私は既に、創世記の神霊(=父)を、プラトニック・シナジー理論(以下、PS理論)の+iとして見た。そして、それは、同一性の発端であると見たのである。
 そうならば、子とは、同一性の子である。しかしながら、問題は複雑なのである。私は、聖書の神は二重であり、Media Pointと同一性志向性が重なっていると述べた。
 だから、子もそのように見るべきである。単に、神霊=同一性の子だけでなく、Media Point、i*(-i)⇒の子として見るべきなのである。
 そう考えると、子とは、父の子であると同時に、母の子なのである。母とは、Media Pointであり、大女神であり、父権的一神教によって排除された母権的多神教の主神である。
 つまり、イエス・キリストとは二重神(神人)なのである。そして、生命=光であるということなのであるが、それは、非常に複雑な問題をもっている。
 ここでは、簡単に言うと、イエス・キリストとは、同一性(父の子)であり、差異(母の子)であり、二重性を帯びているのである。換言すると、闇=自我と光=自己の二重性をもっているのである。だから、純粋に、光とは言えないのである。闇と光の二重性、悪と善の二重性をイエス・キリストはもっていると言えよう。因みに、イエスは、この世に剣をもたらすために来たと言っている。
 もっとも、実際はもっと複雑である。同一性とはそれなりに必要なのである。物質的現実を肯定するには、同一性が必要なのである。だから、イエス・キリストは歴史的に重要な意義をもっていたと言えるのである。
 しかしながら、今日、イエス・キリストないしキリスト教のこの二重性が反動的になっていると考えられるのである。つまり、同一性が現代において、差異を取り込んでしまい、差異を解放させない情況になっているのである。同一性=自我、とりわけ、近代的自我が強化されていて、差異が活性化されても、差異が純粋に顕現しない事態になっているのである。
 イエス・キリストは光であり、闇なのである。これを認めなくてはならない。あるいは、光の子であり、闇の子であると言えよう。
 今日、前者を復活させないといけないのである。光の子としてのイエス・キリストは、父の子ではなく、母の子である。これは、大女神の子である。日御子(ひのみこ)である。日御子として復活しないといけないのである。これは当然、人間は日御子となるのである。
 すると、今日、ゾロアスター教と神道が出会うと言えよう。アフラマズダとは、プラトンの善のイデアであろう。そして、天照大神ないしは天之御中主神であろう。
 これは、何を意味するのか。それは、ゾロアスター教の神、アフラマズダとは、大女神ではないかということである。あるいは、アンドロギュノス(両性具有)的ではないかということである。
 この問題をどう解明するかと言えば、これは、PS理論によって簡単に答えることができる。つまり、Media Pointの元神(原神)がそこにはあるということである。それは、原光と原闇との共振様態としての超越光を意味するのである。
 だから、正確に言えば、三柱の神々である。つまり、神道こそ、霊統を真正正当に捉えていると言えよう。アフラマズダも三柱の神々と捉えるのが的確なのである。
 ということで、簡単であるが、本件の考察をとりあえず終えたい。結論を言えば、トランス・キリスト教としての大神道復興である。新ケルト復興等と共振して、大復活となるだろう。
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