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2007年12月10日 (02:47)

検討問題:風と肌との共振作用、共振視覚、覇権とは何か:Media Point 平面の不連続性、その他

1)風が肌・皮膚に吹きつけるとき、心が刺激され、なにかインスパイアされるのではないのか。夏、田舎の川の堤の道路をサイクリングするとき、風が腕の肌を触れてゆくとき、なにか心というか魂の霊感を受けるようだ。また、今夜のような冷たい風(とは言え、まだ、真冬の厳しさはなく、比較的暖かいが)が吹くとき、心には、なにか生新な感じが生じる。ずいぶん昔、今から、四半世紀前か、真冬の通りの、夜の空間に赫々と真っ赤な火が燃えるヴィジョンをもったものである。冬と火。
 風には、なにか霊的なものを刺激する力があるようだ。自己認識方程式では、+iではないだろうか。これが、皮膚・肌-iに触れると、共振作用を起こして、超越光(霊感)が放出されるのではないか。皮膚・肌は、水を含むから、-iでいいと思うのである。たとえば、火のヴィジョンは、正に、超越光のヴィジョンと言えるのではないか。昨日のニュースで、佐賀や鹿児島の火祭りがあった、ご神火というのも、同じことではないのか。後で検討したい。【p.s. D.H.ロレンスの有名な『チャタレイ夫人の恋人』の終末箇所で、森番メラーズの手紙の中で、メラーズと夫人との間にある小さな火を信じていますと述べられていたが、この小さな火は、差異共振の「火」、即ち、超越光ではないだろうか。ロレンスのエロスとは、プラトンのエロスに似ているのであり、イデア的なのである。ただ、より地上化しているに過ぎないと考えられるのである。とまれ、超越光と「火」(ご神火)の関係を考察したい。 p.p.s. 芭蕉で言えば、「片雲の風に誘われて」の風であり、それが、道祖神の招きである。宮沢賢治の『風の又三郎』、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』の風。創世記の神霊の「風」。また、聖霊との関係。mediumとは、もともとは霊媒を意味した。まさに、Mediaである。】

2)共振視覚について再考したい。あるいは、Media Pointと同一性構造の関係を明らかにしたい。

3)覇権とはどういう発生構造をもっているのか。これは、自我所有欲望とつながっているだろう。アメリカがイラクを横取りしたいのである。これは、アメリカ国家ないしはアメリカ権力の自我所有欲望を現れである。端的に、同一性欲望である。これが覇権の根因であろう。
 では、この同一性欲望が覇権をもとめる力学はどういうものか。自我、この場合は、国家自我である。これは、他者に対して、自我投影して、同一性化するのであり、自我所有欲望の対象とするのである。
 問題は、同一性欲望とは何か、である。他者の存在を横取りして、支配しようとするこの同一性欲望とは、いったい何か、である。
 動物の場合、たとえば、ライオンが獲物を狙い、獲得したときは、それで、同一性欲望は収まるのであり、また空腹となったとき、同一性欲望が蘇ると言えよう。しかしながら、人間の場合は、同一性欲望は持続するのである。同一性渇望と呼んだ方が適切かもしれないが、渇望も欲望の一種として捉えたい。
 自己認識方程式では、同一性欲望とは、+i→-iである。(もっとも、-i→+iも、一種の同一性欲望であるが、それは質料的同一性であり、知的認識的同一性とは異なるだろう。)差異・他者を否定するこの同一性欲望の権力意志とはどこから発生するのか。今、思ったのであるが、それは、+iと-iとの接点で起こるのではないだろうか。つまり、+iが-iへと自己投影する接点において、権力意志が発生するのではないだろうか。(+i)・-(-i)における- (-i)の括弧の外の-が権力意志を発生するものであろう。
 問題は、Media Pointにおいて、本来、三相であるが、この場合、一相である+iが肥大化して、他の二つの相、-iと共振相を抑圧しているということである。
 しかしながら、これまでの私の考えは、同一性志向とは、差異共振エネルギーが出発点でありながら、同一性へと傾斜するというものであり、差異共振性が起点なのである。
 ここでは、おそらく、議論の整理が必要である。ここで作業仮説として、

A: 超越界からの賦活によって、Media Pointにおいて、差異共振化が発生するとしよう。+iと-iとの共振作用があるのである。そして、Media Pointが発生すると言えよう。

B: そして、ここ、Media Pointから同一性志向性=同一性欲望=権力意志が発生するのである。このとき、Media Point自体が否定・隠蔽されるのである。(これが先に私が作業仮説として述べたメディア平面である。ハイデガーの存在、ドゥルーズの内在平面、構造主義の構造に相当すると思われるのである。連続的同一性と以前呼んでいたものの基盤である。)この同一性エネルギーは、自己認識方程式では、⇒だろう。そして、同一性は+1である。つまり、差異共振性が否定されて、同一性が発生するのである。だから、これまで、作業仮説として立てたメディア平面とは、⇒のことと見ればいいように思えるのである。
 とまれ、⇒が同一性欲望=権力意志(覇権意志)である。換言すると、悪魔的意志である。あるいは、近代的自我である。(近代ないしはポスト・モダンとは、人間が悪魔になることである。)
 
 結局、差異共振作用から同一性欲望=権力意志(覇権衝動)が発生するということであるが、では、原点の差異共振性自体はどうなっているのかである。つまり、Media Pointはどうなっているのかである。
 差異共振性・Media Pointから同一性欲望が発生するが、同時に、差異共振性・Media Pointは否定・隠蔽されているのであり、潜在的に活動していると考えられるのである。つまり、無意識活動である。
 まとめると、差異共振作用から、±1の同一性欲望が発生する。しかし、同時に、否定・隠蔽された差異共振作用が無意識として活動しているのである。それが、⇒の左辺である。Media Pointの虚軸である。(以前の私の考え方とはずいぶん変わった。私は、+1を差異共振性の様態と考えてきたのであるから。)
 とまれ、超越性が無意識として潜在して、活動しているのである。しかるに、一般には、言い換えると、意識生活においては、それは、明確に自覚されずに、漠然と感じられたりするものである。魂であったり、神であったり、神秘であったり、霊的なものであったり、不思議であったりするものである。ユング心理学の無意識はそういうものと考えられる。
 しかるに、近代合理主義/唯物論は、それらを完全に否定して、排除しているのである。つまり、Media Pointを否定しているので、差異共振エネルギーが反動化して、狂気・暴力的に近代的主体に襲いかかるのである。
 整理すると、Media Pointの二面性があり、一面では、同一性欲望が発動し、他面では、差異共振性が発動しているのである。前者が意識であり、後者が無意識である。しかし、Media Point平面(新たな造語である。Media Point Plane〔略して、MP-PlaneないしはMP平面〕でもいい。そう、これこそ、メディア平面と呼んだものの真の姿であろう。)は、いわば、不連続面である。すなわち、一面と他面、表面と裏面が不連続なのである。いちおう、差異と同一性の平面と言えるが、ポスト・モダン哲学は、同一性の面から差異の面を捉えようとして、連続化から脱却できなかったと考えられるのである。ドゥルーズの内在平面とは、正にそのようなものである。デリダの差延であるが、それは、同一性に差異が混入する自体を捉えたものと言えよう。
 言い換えると、ポスト・モダン哲学は、MP平面の不連続性が捉えられずに、連続性として捉えたままなので、袋小路に入り込んだと言えよう。差異と同一性が連続したままであり、両者のアイロニカルな没入を発生させてしまうのである。ポスト・モダン経済とは、古い資本主義を復活させてしまうと言えよう。ネオコン/新自由主義がそうだと言えよう。(ここで、構造主義について考えると、それは、MP平面の同一性形式のことと言えよう。そして、ハイデガーの存在であるが、それも、ほぼ構造主義的と言えよう。しかしながら、ハイデガーの存在は微妙なところがあり、差異を一部同一性へと入れているようである。死に臨む存在とは、そのようなものである。)
 このMP平面の考え方は、不連続的差異論におけるメディア界の考え方に似ているものである。ただし、そこでは、差異共立までは述べたが、差異共振性には達していなかったし、超越性にも達していなかった。
 さて、以上のように考えた結果、本件の問題である覇権の発生について考えると、それは、同一性欲望が、差異共振性を完全に否定した場合に発生すると言えよう。つまり、父権的一神教の場合であると言えるのである。結局、西洋文明が世界支配を行なうのは、ユダヤ/キリスト教の心的エネルギーがあるからだと言えるだろう。
 そう、アメリカ帝国主義を動かしているのは、ユダヤ/キリスト教のエネルギーなのである。D.H.ロレンスが『黙示録論』(『アポカリプス』)で喝破したように、世界破壊的なのである。悪魔の帝国である。
 今日・現代、父権的同一性エネルギーの観念(イデオロギー)はすべて批判され否定されなくてはならないだろう。差異共振性を復興させる必要があるのである。トランス・モダン=トランス・オクシデント=ネオ・オリエントである。モダン/ポスト・モダンは今や狂気である。

4)息吹と呼吸とMedia Pointの関係:差異共振エネルギーが息吹・呼吸と関係するのではないか。また、自由もここに関係するだろう。自由に息ができる必要があるのである。不自由さとは、自由に息ができないということである。また、これは、優れた音楽とも関係する。そう、内なるミューズの問題でもある。

5)差異と同一性は相互形成関係があるのではないだろうか。それとも、無関係なのだろうか。

6)MP平面について:不連続性(差異)と連続性(同一性)が結合、融合、矛盾同一している。つまり、端的に、即非様相である。あるいは、不連続性の極と連続性の極の両極がここにあると言えよう。しかるに、意識は一般に連続性の極にあるので、差異を、連続化して捉えてしまうのである。ドゥルーズが典型である。ハイデガーの場合は、かなり特殊である。存在とは、やはり、MP平面の見方の一つであると思うが、本来的存在とは、差異であると思うが、それが、無の様態にあることである。超越性や共振性を欠落しているのである。これは、垂直性が欠落していることによると言えよう。デリダがフッサールを批判し、ハイデガーに共感したというのは、この点から、納得できることである。構造主義は、MP平面の連続性の面を取り出したものだろう。
 さて、ここで生命体について考えると、やはり、MP平面が生命体と言えるだろう。一方の面では精神があり、他面では肉体がある。そして、MP平面は心身体と言えよう。そして、遺伝子であるが、それは、超越的差異(±i)のMP平面における形態ではないだろうか。二重螺旋であるが、それは、超越的差異の質のエネルギー(エネルゲイア)を、連続面において原型したものではないだろうか。つまり、それは、超越的差異の連続体ではないだろうか。結局、精神・霊が不連続面にあり、物質身体が連続面にあるということではないのか。
 思うに、MP平面とは、原型と見るのがいいようだ。ただし、構造主義的原型と見てはいけない。不連続性と連続性の即非結合の原型である。そして、連続面が発展して、物質的身体となると思われるのである。
 思うに、MP平面における不連続面が霊魂であり、連続面が霊的身体ではないだろうか。比喩的に言えば、太陽と月だろうか。イシスとオシリスではないだろうか。天照大神と日御子ではないだろうか。
 そう、物質的身体は当然、滅びるのであるが、MP平面の原型は、霊魂/霊的身体であり、それが輪廻転生するのではないだろうか。とまれ、MPが霊魂身体である。霊体である。後で再考したい。

7) Media Pointは、Media Point Sphereではないのか。 メディア・ポイント球である。後で検討。

p.s. 思うに、点球ないしは球点という概念があるのではないだろうか。これは、即非で考えるべきだろう。すなわち、点でもあり、且つ、球でもある、ということである。思うに、Media Pointは、四次元でもあり、且つ、五次元でもあるだろう。時空四次元でもあり、且つ、超時空五次元でもある、ということである。

p.p.s. Media Sphere Pointでもいいだろう。
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