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2007年12月31日 (16:12)

Media Point差異知性と自我同一性知性:資本主義の限界と差異共振経済共同体

Media Point差異知性と自我同一性知性:資本主義の限界と差異共振経済共同体

テーマ:トランス・モダン差異共振共同体圏

今日、役人や政治家の堕落・腐敗は、近代的自我によると見ていい。私利私欲・利己主義・自己中心主義によるのである。この根本は哲学的には、自我同一性知性にあると考えられる。存在の本源にあるのは、差異(正しく言えば、差異共振性であるが、簡略的に、差異とする)であるMedia Pointであると考えられ、ここから、この自我同一性知性をもたらす同一性中心主義志向性(構造)によって、差異が否定され、排除・隠蔽・抑圧する事態が生起しているのである(私は精神分析に通じる用語を用いるが、精神分析、さらには、ユング心理学等は、プラトニック・シナジー理論の考え方によってこそ、修正的に発展できると考えている。これについては、いつか述べたい。)。
 今日の世界は、この同一性中心主義による自我同一性知性が中心となっている。そのために、差異は否定されて、諸戦争(戦争で、国家間の戦闘から、日常的な闘争を含める)が起こるのである(ホッブズ:万人の万人に対する戦争)。
 人が通常、「私」(自我)と考えているのは、この自我同一性知性が生み出すと言えよう。この「私」は、他者と戦争し、他者を打ち負かして、「私」に利益をもたらすのである。これが、資本主義の弱肉強食の世界である。
 人間が動物以上に残忍酷薄なのは、同一性中心主義志向性に拠ると言えよう。何故なら、動物の場合は、おそらく、Media Pointの根源から生活していると思えるからである。つまり、差異と同一性が未分化であり、同一性が主導的なときには、闘争するが、差異が主導的なときは、平和共存するのである。ある意味で、自然界において、他者とのそれなりの共存共栄を行っているのである。そう、自然の叡知、Media Pointの叡知と考えられる。
 人間において、Media Pointの叡知が同一性中心主義志向性や自我同一性知性によって翳っているのである。仏教では、これを無明(むみょう)と説いたのである。そして、空の教義によって、Media Pointの叡知へと回帰すべきことを説いているのである。大仏教である。そう、仏教は、トランス・モダン哲学の先駆であると言えよう。動物的な Media Pointの叡知が、太母文化にあったが、その後、父権文化が発生して、同一性中心主義志向性が主導的になった。それに対して、動物的なMedia Pointの叡知の復興として、仏教が興隆したと思われるのである。(だから、現代でも、仏教の教理は有効である。)
 現代において、資本主義の世界において、自我同一性知性が、金融を動かしているのである。量的な知性が動かしているのである。しかしながら、これは、サブプライムローン問題を見ても分かるように、限界があるのである。
 さて、ここで、私は理性を問題にしたいのである。この言葉は混乱している。とまれ、私はMedia Pointの叡知こそ、理性、真の理性であると考えるのである。だから、Media Point理性と呼んでいいだろう。あるいは、Media Point知性でもいいだろう。(本当に、言葉が混乱していたり、不十分なので、的確に表現できないのは困ったことである。)
 Media Point理性に対して、自我同一性知性は、それを否定して隠蔽している。つまり、無明・狂気の様態に現代の人間は存するのである。狂気的人間としての現代の人間である。倒錯・転倒・倒立しているのである。逆さまである。善が悪となり、悪が善となっているのである。(「奇麗は汚い、汚いは奇麗」『マクベス』)
 もっとも、現代、ポスト・モダンにあって、トランス・モダンの志向性が活性化していると考えられる。それは、Media Point理性への回帰の動きである。同一性を包摂した高次元のMedia Point理性(高次元理性ないしは高次元知性とも呼べる)への螺旋的回帰である。
 資本主義世界は、自我同一性知性によって、破壊的に発展してきた。それによって、根源のMedia Point理性が翳り、隠蔽されてきたのである。しかしながら、自然の力・エネルギーとは、一方的なものではなく、太極的であると考えられる。同一性への志向性に対しては、差異への志向性が作用するのである。つまり、言い換えると、心が外界へと志向して、自我同一性知性を形成した。しかるに、心は内界へと回帰する志向をもち、自我同一性知性主義を破壊するのである。ポスト・モダン志向である。この自然の回転運動(太極原理)が、世界を支配するのであり、資本主義にも影響を与えるのである。
 思うに、ネオコンとは、アイロニカルな没入から、反動的な資本主義である。キリスト教原理主義とは、自然の回転運動の内界志向性の反動なのである。
 今日の世界・日本の大暗黒にあっても、自然は回転運動(太極原理)を永続するのであり、内界志向性は強化されるのである。例えば、文学でファンタジーが興隆したのは、これが根因であると考えられるのである。また、精神世界ブームも危険ではあるが、これが根因であると考えられる。
 問題は、ポスト・モダン様態にあって、自我同一性知性主義が反動化されることである。これは、全体主義的になるのである。(例えば、小泉元政権を考えるといいだろう。)また、機械主義的になるのである。人間の心の破壊である。端的には、人間の心の劣化であり、知能の低劣化・退化である。
 資本主義は、情報革命となり、ますます新たな差異を必要とするのであるが、自我同一性知性に支配されているので、パラドックスの事態にあると言えよう。世界を資本主義の枠組みを超えて、前進させるのは、端的に、Media Point理性への回帰である。高次元理性・知性への進展である。トランス自我同一性主義、トランス・キャピタリズムである。差異共振経済である。ここでは、高次元の高度な感性・知性が必要とされるのである。
 そして、政治においてこそ、この差異共振理論が必要とされよう。国家を差異共振性によって、創造的に変容させる必要があるのである。自我同一性知性という私利私欲を目指すものでなく、Media Point理性による差異共振価値を目指す政治が必要なのである。これは、端的に、パラダイム・チェンジである。相転移である。ポスト・モダンからトランス・モダンへの質的転換である。これは、世界御一新である。差異共振共同体、差異共振企業が世界を変容するのである。
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