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2008年01月17日 (02:18)

検討問題:同一性主義の狂気について:同一性交換価値のモノマニアとしての資本主義

1)同一性主義狂気について:これは、サブプライムローン批判を目指している。直感では、同一性価値を追求して、バブルとなり、崩壊した。この同一性価値追求は狂気だと思うのである。先にも述べたが、同一性価値が基盤であり、差異価値を排除しているのであり、同一性中心主義である。同一性=量を増大(=成長)の追求であり、そのため、差異=質を看過・軽視・無視するのである。
 つまり、ここには、同一性の論理しかない世界があるのである。単純に考えると、信用力とは差異である。それに対して、利子等は同一性である。リスクは本来は、差異と同一性との相互関係で決められるべきものであるが、サブプライムの場合、同一性価値の視点で決められたように思われる。何故なら、信用力が低いとは、差異の弱さであるからである。差異と同一性の両者を共通に量のレベルでは扱ってはならないのであるが、この問題では、差異を量=同一性化したと思う。
 つまり、差異は本来、不連続なのであり、同一性は適用できないはずであるが、同一性=量化したように思えるのである。この点はこれで留める。
 次に、同一性の連鎖について考察したい。これは、私がマクベス投機と呼んだものである。おそらく、同一性連鎖の妄想というものがあると思うのである。これは、理性を麻痺させるのである。これは、なにか酔いと同じだと思うのである。前頭葉がはたらいていないと思うのである。とにかく、同一性連鎖快感があると思うのである。(p.s. 同一性連鎖快感は、脳のどこではたらいているのか。)
 つまり、同一性は、同一性を排他的に追求するのであるが、ここに妄想的快感が発生していると考えられるのである。これは攻撃的快感である。差異を否定する攻撃的快感である。つまり、力=暴力=権力の快感である。問題は、排他的に同一性を追求する欲望の力学である。それは何か。(私は『指輪物語』の「一つの指輪」を想起している。)
 単純に言えば、父権暴力である。しかし、その秘密は何か。直感では、同一性狂気というものが中心にあるのであるが、それは何か。同一性の中心化・絶対化でもある。批判を許さぬ絶対的衝動でもある。独善・独断・専断性である。自己盲目性である。
 それは、自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1 で言えば、+iだけの世界である。差異である-iが存在しない、+iだけの世界である。(+i)・(+i)=-1の世界ではないだろうか。+1が物質現象とするなら、-1は、同一性主義ではないだろうか。
 そう、+iの同一性志向だけがあり、-iが阻害されているのである。純粋同一性主義である。ここでは、同一性=量しか存在しないのである。だから、当然、同一性価値だけを追求すると考えられるのである。これが、現代の資本主義であり、サブプライムローンである。つまり、近代合理主義の極致がここに出現していると考えられるのである。ユダヤ・キリスト教の帰結であろう。
 これは、明らかに、パラノイアであり、世界は崩壊するだろう。新しい世界は差異共振世界である。トランス・モダン世界である。
 後で整理し、検討を続けたい。

2)「もののあわれ」について:本居宣長批判:これは何回か論じたが、整理する必要がある。結局、やはり、同一性に関係するのである。自我同一性の基盤から、宣長は、「もののあわれ」に達したのだと思うのである。自我同一性から神道・アニミズムを捉えようとしたのである。自我同一性が基礎にあるから、当然、二項対立・二元論となり、排他的になるのである。大和心と漢意の二元論となるのである。
 この自我同一性主義的神道論が国家神道の基盤になったのではないだろうか。
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