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2008年02月23日 (16:27)

自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1について:差異共振方程式(+i)*(-i)⇒±1?

昨日、女性が描く裸婦には、いわば、エロティシズム(男性のもの:例えば、バタイユのそれ:「エロチシズムとは死に至るまでの生の高揚である」)がないと言ったが、これは、いったい何を意味しているのか。このような簡単なことが意外にわからないのである。【p.s.  思うに、当然ながら、そこには、男性のエロチシズムはないが、女性のエロチシズムがあるのではないだろうか。女性のエロチシズムとは、本当は、D. H. ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』にあるようなものである。差異共振的エロチシズムであり、これは、言うならば、プラトニック・エロチシズムであろう。】
 自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1で考えてみると、例えば、女性の作家が+iで裸婦が-iであり、ヌード作品が+1になると考えられなくもないが、これでは、男性の作家の場合と区別がつかない。
 ここで思考実験すると、女性の画家が裸婦を描くときは、例えば、(-i)*(-i)⇒-1乃至は、(+i)*(+i)⇒-1になるのではないのだろうか。
 差異ではなくて、いわば、同一性共振である。-1は共感性ではないだろうか。この共感性が、女性が描く裸婦の絵画に表現されているのではないのだろうか。
 さらに敷延して言うと、民主主義とは、このようなものではないのか。平等とは、-1を意味するのではないのか。
 思うに、差異共振であるが、それは、いわば、差異を自己同一性として捉えようとすることではないのか。ここは、きわめて根本的な問題である。
 他者である差異を認めることとは、自己において、他者を容認することである。自己の中に、他者=差異を確認することである。それは、正に、自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1の左辺の位相である。
 ここで振り返ると、自我同一性とは、+iが差異共振性を否定したところに成立する。つまり、右辺である。
 今思ったのは、自己認識方程式の⇒を等号に変えれば、問題がないのではないだろうか。即ち、自己認識方程式(+i)*(-i)=+1である。思うに、⇒の場合が、同一性主義を意味するのであり、等号の場合は、差異共振性をも意味しているように思われるのである。
 言い換えると、父権文化(一神教文化)が(+i)*(-i)⇒+1であり、母権文化(多神教文化)が(+i)*(-i)=+1ではないのか、ということである。
 この視点を、裸婦の作品に適用すると、男性が描く裸婦は前者であり、+1というエロチシズムが生まれるが、女性が描く裸婦は+1であるものの、左辺の差異共振性が同時存在するので、エロチシズムが否定されるのではないだろうか。これが、私が昨日言った、エロチシズムがあるようでないという即非様相を説明するのではないだろうか。つまり、差異共振等式(+i)*(-i)=+1というものが仮説できて、これは、右辺であると、同時に、左辺であるということではないのか。この場合の「同時に」とは明らかに、即非性である。だから、等号は、実は不等号でもある。だから、等号の換わりに⇔を使用する方が的確であろう。即ち、差異共振方程式(+i)*(-i)⇔+1である。
 そうすると、上述した同一性共振の-1の仮定は不要になるのである。後でもう少し検討したい。

p.s. -1の意味が問題として残っている。差異共振した場合の内面を考えよう。【ここで問題としているのは、トランス・モダン的差異共振であり、プレ・モダン的差異共振ではない。言い換えると、いったん、同一性自己+1を形成した後の差異共振形成のことである。即ち、(+i)*(-i)⇒+1⇒(+i)*(-i)である。最後の(+i)*(-i)は、高次の差異共振性であり、最初の(+ i)*(-i)⇒+1とは質的に異なるのである。この点については、表記の仕方を含めて、後でさらに検討したい。】
 差異共振した場合、他者=差異-iは、自己における他者・差異となっているだろう。もっとも、同一性として同化されたわけではない。あくまでも、他者=差異-iである。しかしながら、共振様相においては、単なる他者=差異-iでもない。この共振状態における他者=差異-iとは何だろうか。
 当然、即非様態における他者=差異-iである。「私」は「私」でありながら、「他者」である。あるいは、「私」は「私」ではなく、「他者」であり、且つ、「他者」ではない、等々である。思うに、思うに、「私」は「私」ではなく、「他者」であるというのが、-1のことではないだろうか。同一性自己は+1 であり、差異的自己が-1なのではないだろうか。そう、「他者」である自己が-1ではないだろうか。
 すると、自己認識・差異共振方程式は、(+i)*(-i)⇒±1となるのではないだろうか。そして、ここで、本件のテーマにもどれば、女性の描く裸婦とは、やはり、-1でいいのではないだろうか。とまれ、後で整理したい。

参照:エトルリア美術(エトルリアとは古代イタリアないしはイタリア先住民の国である。ローマ帝国に滅ぼされた。)。イギリスの作家D. H. ロレンスは『エトルリアの地』で、エトルリアが東洋的な古代文明を最後の残りであることを説いている。つまり、母権文化であるということである。また、ロレンスは今日のイタリア人が、ローマ帝国の人間の末裔であるというよりは、エトルリアの末裔であると述べているが、それは、イタリア人に接したものならば、首肯できることであろう。


画像をクリックすると大きなサイズで見られます。
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Etruskisches_Paar.jpg
http://www.japanitalytravel.com/lazio/etruschi.html
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2000Afterlife/01/0101.html
Etruscan art
From Wikipedia, the free encyclopedia
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Etruscan wall-painting
Etruscan wall-painting

Etruscan art was the form of figurative art produced by the Etruscan civilization in northern Italy between the 9th and 2nd centuries BC. Particularly strong in this tradition were figurative sculpture in terracotta (particularly life-size on sarcophagi or temples) and cast bronze, wall-painting and metalworking (especially engraved bronze mirrors).

http://en.wikipedia.org/wiki/Etruscan_art
http://en.wikipedia.org/wiki/Etruscan_art
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