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2008年03月03日 (02:29)

自我像(鏡像)への同化(同一性化)とは何か

Media Point の原自己(自他己)から自我(自己同一性)を形成するわけであるが、そのとき、自我像(鏡像)が媒介(メディア)となると考えられる。(ラカンは鏡像段階と言っているが。)
 この自我形成のシステムであるが、同一性エネルギーが放出されて自我像を結ぶわけであるが、そのとき、自我像への愛着・快感が生じて、それに固着するのであり、それを中心化するのであり、それが優位となり、それ以外のものが劣位に置かれ、いわゆる二項対立が発生すると考えられるのである。言い換えると、自我像への快楽・好感情(自己陶酔感情)とそれ以外のものへの嫌悪・憎悪の発生である。この自我像に基づく自我形成は、エゴイズム(利己主義・自我中心主義)をもたらすのである。そして、これが究極的には金銭欲、貨幣資本主義をもたらすのである。自我像への固着が原点にあるのである。そして、この自我像の原像・原点が聖書のヤハウェであると言えよう。「我有りて、有り余れる神なり」。これは、超越的自我像なのである。超越的自己同一性なのである。そして、ここに同一性価値としての貨幣・資本が結びつくのである。すての差異が同一性へと還元されて、自我中心主義的に他者=差異価値は裁断されるのである。これは明らかに自然・人類の「癌細胞」である。
 しかしながら、この「癌細胞」が西洋文明を構築したのであり、科学・技術を生み出し、その悲劇的な恩恵を今日先進諸国は享受しているのである。
 とまれ、自我像に基づく自我中心化によって、西洋文明は推進したことは認めなくてはならない。利己主義による推進である。自我中心主義による悲劇的進展である。そして、その結果として今日の「黙示録的終末論」的状況を迎えているのである。
 思うに、この自我中心主義とはいったい何なのだろうか。「わたし」、「わたし」、「わたし」、・・・。この自我の狂気的な衝動は何なのだろうか。このヤハウェ衝動とは何なのだろうか。この同一性狂気衝動とは何なのだろうか。(今日、これに支配されているのである。これがルサンチマン・憎悪、精神病、暴力、犯罪、戦争、自然破壊、等々を生み出しているのである。いわば、諸悪の根源である。)ここには、ある種の盲目性がある。目隠しされてニンジンを鼻先にぶら下げられた馬車馬のように同一性価値へと突き動かされているのである。そう、プラトンの洞窟内の人間でもある。また、仏教の説く無明状態である。自我像・鏡像・偶像(そう、ヤハウェこそ、究極の偶像ではないのか)に支配されているのである。自我像によってパラドクシカルに盲目化するのである。つまり、本来はイデア像・エイドスがあるのであるが、それが投影されて同一性像としての自我像となるのである。イデア像・エイドスの一種の物質化である。物質化としての自我像があるのである。この物質化が本源のイデア=差異を排除しているのである。マテリアル化された自我なのである。物質的自我なのである。物質エネルギーとなった自我なのである。これが同一性狂気衝動の正体であろう。物質エネルギーなのである。これが、世界を支配しているのである。物質狂気エネルギーなのである。これはエントロピーである。原自己であるMedia Point の差異共振エネルギー=イデア・エネルギー=超越的エネルゲイアが、物質エネルギー(エンテレケイア)に変換したままの様態にあるのである。終結・終末・終端様態なのである。
 これは当然自壊するのである。破局するのである。経済恐慌とはその一つの事象であろう。差異共振エネルギーの同一性化とは、本来、矛盾様態・パラドックスなのである。「我有りて、有り余れる」の「有り余れる」が矛盾様態・パラドックスを示唆していると考えられる。即ち、過剰となるのである。ハイパーとなるのである。それが端的に、狂気なのである。
 この過剰が同一性狂気衝動の真因であろう。自我・自己同一性は、その衝動の真の意味を知らないのである。ユダヤ・キリスト教徒ならば、神の衝動と言うだろうが。しかし、ヤハウェ衝動の意味は解明されていない。なぜ、「有り余れる」神なのか。それは、端的に、差異共振エネルギー=超越エネルギーがあるからである。E=m(+ic)*(-ic)⇒mc^2における左辺が存しているので、過剰となるのである。これが同一性狂気衝動=ヤハウェ衝動(おそらく、究極の知を探求するファウスト衝動もこれであろう。これについては後で検討したい。)の原因なのである。
 しかしながら、資本主義は単純なヤハウェ衝動ではない。そこには、差異共振価値創造が入っているのである。新しい差異価値としての商品であるし、また、技術革新も差異価値創造である。また、分業も差異価値創造である。つまり、資本主義には、同一性狂気衝動=ヤハウェ衝動とは別に、差異共振エネルギーが純粋に発動していると言えるのである。
 これは一体何なのだろうか。これまでの私の試論では、純粋な差異共振エネルギーの発現とは、太母文化に基づくのである。つまり、差異共振文化である太母文化の側面を資本主義はもっていると考えられるのである。【占星術的文化史から言うと、双魚宮(魚座)文化なのである。】思うに、イタリア・ルネサンスとは、この差異共振文化を意味しているように思えるのである。そして、プロテスタンティズムはそれの包摂的否定である。換言すると、差異共振性のヤハウェ化である。
 ここまで来ると問題はかなり明瞭になったと思われる。現代のグローバル資本主義の問題とは、「父」と太母との争闘が根源にあるということである。近代主義とは、太母と「父」との争闘エネルギーをもっていたのであるが、「父」が支配的であったのである。それがユダヤ・キリスト教西洋文明の意味である。「父」による太母の支配である。
 しかし、例えば、人間の成長を見てわかるように、成人へと身体の成長が終わると、今度は、精神・知的成長が重要になるのである。(思うに、これが、厄年の一つの意味ではないだろうか。)つまり、成長プロセスにおいて、同一性化=物質化が終了して、エネルギーが心的成長へと転換すると考えられるのである。同一性=物質形成から精神形成へと転換するのである。エネルギーの質的変換が生起すると考えられるのである。
 これが大規模で人類史ないしは文明史にも生起すると考えられるのである。ヤハウェ衝動が終焉して、太母エネルギーが純粋に発生すると考えられるのである。つまり、同一性価値=物質価値形成から差異共振価値形成へと転換するということである。つまり、原太母⇒「父」⇒「子」⇒「聖霊」としての太母という図式が文明史に考えられるのである。そして、現代が新たな太母エネルギー発生の段階であると考えられるのである。
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