2005年10月29日 (00:34)
イデア界の共存力と瞑想・禅・気:イデア・メディア・現象三層共鳴:差異共存共創主義
イデア界とメディア界の境界において、イデア界の虚力と併存して、メディア界の連結力・強度・エネルゲイアが発生している。つまり、後者は、形相・原型・構造・「イデア」・型・雛型(イデア界の差異であるイデアではない)であり、現象界へと転化される。この後者に作用しているのが、いわば、メディア力・強度・エネルゲイアである。わかりやすく言えば、
1.イデア界の力・虚力・デュナミス
・・・イデア・メディア境界・IM境界・・・
2.メディア界の力・強度・エネルゲイア
1と2が、イデア・メディア境界・IM境界に併存しているのである。1⇒2は質的変換である。これが、自然の変化の中でもっとも不思議なものだろう。1/4回転・質的変換である。このとき、連結化が生じて、形相が発生する(連結化の仕方については後で考察しよう)。即ち、形相・エネルゲイア発生である。「無」から「有」の誕生とも言える。しかし、「無」は、不連続的差異の共存状態である。イデア界・虚界における状態である。これが、「有」ないし原有・前有となる。しかし、「有」は、不連続的差異の連結であるから、潜在的には、差異共存性をもっていると言えよう。形相・エネルゲイアは、潜在・内在的に「無」・虚力・デュナミスをもっているのである。とまれ、これが、現象化するのである。それは、連続・同一性化によるのである。微分⇒積分化である。これが、ベルクソン・ハイデガー・ドゥルーズの連続体論の意味するものであろう。連続的差異の有限化である(この点についても後で検討)。
結局のところ、イデア界の差異は、メディア界化して、そして、現象界化している。だから、超越論的に現象界は差異共存性(思うに、これがプラトンの理性だろう。円だろう。)を内在しているのであるから、なんらかの方法で、差異共存性にコンタクトできるはずであるし、そうした場合、差異共存性の力が、メディア界、現象界に伝導するはずである。これが、思うに、瞑想等によって目指される心身状態だと思う。つまり、心身を差異共存性の状態に変化させるのである。そして、イデア界と共鳴するのである。これが、仏教・禅でいう「無」の境地であろう。空というのも、これと同様であろう。ヨガも同様だろう。また、聖地と呼ばれるところは、このような差異共存性にコンタクトしやすい場所に違いない。確かに、経験的に聖地と呼ばれるところは気持ちがよくなるものだ。(参照:ツボ、経絡、龍脈、レイライン等々)瞑想に関しては、科学的に検証されている。しかし、物質主義的科学では限界がある。
とまれ、差異共存状態を励起させれば、イデア界が賦活されて、共鳴状態が生じるということになるだろう。おそらく、仕事でも、このような状態になると物事がはかどるはずである。日本一になった千葉ロッテマリーンズは、ボビー・バレンタイン監督の指揮下、このような差異共存状態になったのではないだろうか。イデア界的「超電導」状態である。これからの厳しいビジネス界において、差異共存性の「マジック」を活用すべきである。これは正に、差異共存共創主義である。
1.イデア界の力・虚力・デュナミス
・・・イデア・メディア境界・IM境界・・・
2.メディア界の力・強度・エネルゲイア
1と2が、イデア・メディア境界・IM境界に併存しているのである。1⇒2は質的変換である。これが、自然の変化の中でもっとも不思議なものだろう。1/4回転・質的変換である。このとき、連結化が生じて、形相が発生する(連結化の仕方については後で考察しよう)。即ち、形相・エネルゲイア発生である。「無」から「有」の誕生とも言える。しかし、「無」は、不連続的差異の共存状態である。イデア界・虚界における状態である。これが、「有」ないし原有・前有となる。しかし、「有」は、不連続的差異の連結であるから、潜在的には、差異共存性をもっていると言えよう。形相・エネルゲイアは、潜在・内在的に「無」・虚力・デュナミスをもっているのである。とまれ、これが、現象化するのである。それは、連続・同一性化によるのである。微分⇒積分化である。これが、ベルクソン・ハイデガー・ドゥルーズの連続体論の意味するものであろう。連続的差異の有限化である(この点についても後で検討)。
結局のところ、イデア界の差異は、メディア界化して、そして、現象界化している。だから、超越論的に現象界は差異共存性(思うに、これがプラトンの理性だろう。円だろう。)を内在しているのであるから、なんらかの方法で、差異共存性にコンタクトできるはずであるし、そうした場合、差異共存性の力が、メディア界、現象界に伝導するはずである。これが、思うに、瞑想等によって目指される心身状態だと思う。つまり、心身を差異共存性の状態に変化させるのである。そして、イデア界と共鳴するのである。これが、仏教・禅でいう「無」の境地であろう。空というのも、これと同様であろう。ヨガも同様だろう。また、聖地と呼ばれるところは、このような差異共存性にコンタクトしやすい場所に違いない。確かに、経験的に聖地と呼ばれるところは気持ちがよくなるものだ。(参照:ツボ、経絡、龍脈、レイライン等々)瞑想に関しては、科学的に検証されている。しかし、物質主義的科学では限界がある。
とまれ、差異共存状態を励起させれば、イデア界が賦活されて、共鳴状態が生じるということになるだろう。おそらく、仕事でも、このような状態になると物事がはかどるはずである。日本一になった千葉ロッテマリーンズは、ボビー・バレンタイン監督の指揮下、このような差異共存状態になったのではないだろうか。イデア界的「超電導」状態である。これからの厳しいビジネス界において、差異共存性の「マジック」を活用すべきである。これは正に、差異共存共創主義である。

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