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2008年06月04日 (21:37)

「わたし」とは何か:差異共立性(+i)*(-i)⇒+1/MP/-1:MP事象とダークエネルギー

先に、「わたし」について検討して、いちおう結論に達したと思ったが、それでもなお、判然としない感があるので、ここでさらに検討したい。
 直感から始める。つまり、直感の「わたし」から始める。言い換えると、現象の「わたし」から始める。
 簡単に言って、例えば、窓外に見える白い建物は病院であると知覚する「わたし」は何なのか。同一性の「わたし」なのか。差異の「わたし」なのか。病院という認識は、同一性認識である。そう、対象としては、差異であるが、病院という認識は同一性認識である。差異を同一性として認識する「わたし」は、だから、同一性の「わたし」ではないだろうか。
 同一性の「わたし」は、自己同一性=自我と考えられる。そして、一般には、ないしは、表面的には、社会は、この同一性のレベルで成り立っている。言葉の世界である。
 しかしながら、深いレベルでは、「わたし」と病院は共振しているのである。少し、知覚の様態を変えると、病院を眺める「わたし」の意識は、いわば、病院そのものになっているし、しかし、すぐ、「わたし」は「わたし」であり、病院とは別個の存在である意識が当然戻る。(対象が「わたし」を見ているというような知覚については、ここでは触れないことにする。たとえば、山が「わたし」を見ているというような感じは起こるものである。)
 つまり、知覚には、揺らぎがあるのであり、それは、「わたし」と病院との差異共振性と考えることができる。この場合、「わたし」は+iであり、病院は- iであり、差異共振の結果が⇒+1であり、この+1をこれまでは、共一性と呼んできたのであるが、果たして、それは、同一性と呼べないのか、という疑問が起きる。
 精緻に考えよう。+iは自己差異であり、-iは他者差異である。だから、+iの「わたし」とは、自己差異であり、-iの病院とは、他者差異としての病院の建物である。そして、それが、共振して、共一性になるとこれまで考えてきた。だから、それは、同一性ではありえないことになる。共一性としての「わたし」と「病院」とは、いわば、絶対矛盾的自己同一の様態である。「わたし」と病院は共振して、共一様態にあるのである。そう、だから、これは、差異認識なのである。差異としての「わたし」が差異としての病院を共振・共一認識しているということである。
 では、同一性はどういうことになるのだろうか。「わたし」が窓外に眺める病院は、基盤においては、差異ではあるが、視覚認識としては、同一性としての病院である。これは、どう数理化できるのか。
 「わたし」が差異対象を病院と呼ぶとき、差異を排除しているのだろうか。近代合理主義ならば、差異を排除して、病院と呼ぶ。ある対象Pは、病院であって、それ以外のものではない。これが、同一性認識である。
 「わたし」が窓外の建物を病院と呼ぶとき、それは、差異を排除するだろうか。差異共振性が基盤にあるとき、病院という同一性は、差異を排除しないで、並立・並存しているだろう。差異と同一性が並存していると考えられる。二項対立はここにはないのである。これを以前は、同一性を包摂した差異(差異共振性)と表現した。
 問題は、この併存する場合の同一性の数理である。二項対立の同一性は、-1で表現できる。しかし、併存する場合は、どうなのか。
 また、精緻に考察しよう。視覚を介した対象の像が問題である。視覚において、対象像が見える。それは、おそらく、本来は、差異共振的対象像である。つまり、共一性像である。
 しかし、自己差異+iは、対象差異-iを排除して、同一性像を形成する。これは、分離像ではないだろうか。主体と客体との分離像ではないだろうか。「わたし」は「わたし」であり、対象は対象であり、両者は別々である。
 この分離像である同一性像が言語化されて、同一性が確定すると考えられるのである。そして、この同一性が物質現象と考えられる。
 思うに、同一性とは、自然の必然的現象なのだろう。だからこそ、物質科学・技術が形成されるのである。同一性=物質現象が形成されるんは、差異を排除する力が必要と考えられる。反発力である。これは、差異同士の対立とは異なるものである。つまり、二項対立を形成する、いわば、暴力、根源的暴力である。
 ここで思考実験であるが、Media Pointにおいて、+iと-iが共振する場合と反発する場合を想定しよう。共振は牽引に因り、排除は反発に因るとしよう。牽引も排除も本来、同一の力であるが、周期があると思われる。引きつけの時と、反発の時の両者の周期があると思われる。
 引きつけのときが、⇒+1で、反発のときが、⇒-1とする。思うに、両者ズレがあると考えられるが、いわば、無時間的に反復されるので、現象は同時生起のように見えるだろう。即ち、⇒±1である。言い換えると、⇒共一性+1、且つ、同一性-1である。
 自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1の左辺は超越的差異共振性と見ることができる。しかしながら、引きつけと反発の対立を考えると、単純に共振とは言えなくなる。だから、差異共立性と呼んでおこう。すると、差異共立性は、一方では、差異共振エネルギー+1となり、他方では、同一性エネルギー-1となることになる。
 では、光現象はどういうことになるだろうか。直感では、両者が光現象である。同一性エネルギーの光と差異共振エネルギーの光が同時生起すると思われる。同一性エネルギーの光が、可視的な光であり、差異共振エネルギーの光とは、いわば、不可視の光ではないだろうか。三次元空間は、当然、前者であり、四次元時空間とは、後者ではないだろうか。相対性理論とは、後者の時空間を説いたものではないだろうか。そして、量子力学であるが、直感では、粒子は-1であり、波動は+1ではないだろうか。両立するのである。これが、粒子と波動の相補性であろう。光とは、粒子であり、且つ、波動である。そして、並存・並立しているのである。そうならば、相対性理論は量子力学に包摂されることになるだろう。
 しかしながら、根源的エネルギー(デュナミス⇒エネルゲイア)は、相補的な二つのエネルギー(同一性エネルギーと差異共振エネルギー)に分化されるのだから、現象世界とは、二重世界・二相世界ということになるだろう。古典物理学の世界は、同一性エネルギーの世界である。そして、20世紀において、差異共振エネルギーの世界が発見されたと言えよう。四次元、ないし、時空四次元である。
 現代世界は、この四次元のエネルギーを使用した世界であり、古典・近代的な世界から切断されている。もっとも、大半の人間の意識は、未だに、古典・近代主義に停滞しているだろう。
 ここで、哲学史的に考えよう。現象学の画期性である。(キルケゴールとニーチェの特異性の哲学も重要であるが、それはおいておく。)フッサール現象学は、これまで説いたように、画期的に、⇒を発見したのである。つまり、差異共振エネルギー+1を超える⇒、超越意識(超越論的主観性:超越論性と超越性の問題はおいておく)を発見したのである。しかしながら、ハイデガーは、⇒を無視して、⇒終点を問題にしたと思われるのである。世界内存在とは、±1のことではないだろうか。+1が本来的存在であり、-1が頽落した現存在と思われる。(これまで、ハイデガー存在論は、ゼロ⇒+1としたが、ゼロはなくした方がいいと思われる。ゼロについては、後で検討したい。)
 すると、ハイデガー存在論は、量子論に対応すると思われる。そして、フッサール現象学は、トランス量子理論に相当するように思われるのである。言い換えると、フッサールは、五次元論に接していたを思われるのである。
 とまれ、哲学史においては、20世紀初期において、Media Pointへと到達していたと考えられる。日本の哲学は、鈴木大拙の即非の論理、西田幾多郎の絶対矛盾的自己同一、九鬼周造の偶然の論理等は、Media Pointに到達していたと思われる。西洋においては、フッサール以外に、神秘学者のウスペンスキーがほぼ即非の論理に近い理論を発見した。
 20世紀後半において、構造主義やポスト・モダン理論が主導的になるが、これは、以上の視点からどう説明できるだろうか。
 二項対立を発生させる構造であるが、構造とは、思うに、やはり、Media Pointの実軸であると思う。つまり、ゼロ・ポイントである。ここにおいて、-1の二項対立と+1の原点の発生が考えられるのである。そして、ドゥルーズ哲学はほとんど構造主義である。差異を連続化しているので、差異がゼロ・ポイントになっていると思われる。
 ポスト・モダンは差異という視点を提起したことで、深い意味をもっている。結局、ポスト・モダンは、ドゥルーズのプラトニズム批判とデリダのロゴス中心主義批判からわかるように、同一性主義の批判に向けられている。有り体に言えば、近代合理主義批判である。
 同一性は-1であり、それに対して、差異を提起したわけであるが、ドゥルーズの場合は、理念的な差異、いわば、イデア的な差異を提起したのである。おそらく、ここにおいて、ドゥルーズは、Media Pointに近づいたのである。しかしながら、決定的な誤りは、差異を連続化して、構造主義の発想に留まってしまったことである。
 (初期)デリダの場合は、ハイデガー存在論を下敷きにする形で、同一性-1と共一性+1とのズレ(差延)を提起して、同一性主義を解体したのである(脱構築主義)。同一性と差異共振性とのズレ(差延)を初期デリダは説き、同一性を脱構築したと考えられるのである。
 だから、脱構築主義は、量子力学の相補性に類似した発想であると言えるし、当然、ハイデガー存在論に似ているのである。
 そう見ると、構造主義とポスト・モダンは、20世紀初期において、発生した理論的問題を、構造と差異という概念を中心化して、反復したと考えられる。そして、それは、その問題を真に乗り越えてはいないと考えられるのである。何故なら、ポスト・モダンは、フッサールの超越性(超越論的主観性)を排除しているからである。超越性を同一性の原因と捉えて、そうしたように思われるのである。
 結局、真の問題は、トランス・モダンにあったのである。後期デリダやジャン=リュック・ナンシーはMedia Pointへと接近していると考えられる。そう、ポスト・モダンからトランス・モダンへと理論的問題は移行したのである。
 そして、不連続的差異論は、差異の不連続性を明確にして、不連続的差異のイデア性を提示し、プラトニック・シナジー理論(以下、PS理論)は、超越的差異共立性をMedia Pointとして把捉し、また、数理化を行ったのである。
 このように見たとき、即ち、以上の視点全体から見たとき、自然科学に対する新たな知見が形成されると考えられる。それは、自然の根源において、差異共立エネルギー(デュナミス/エネルゲイア)=イデア・エネルギー=超越エネルギーが存するのであり、それこそが、ダークエネルギーの正体ではないのかということであり、また、超越界(虚数世界)こそ、五次元の世界であり、そこから、四次元時空間や三次元空間が説明されるということである。
 宇宙物理学的に言うと、相対性理論/量子論で捉えた宇宙とは、-1と+1のエネルギーの世界である。いわば、実軸の世界である。しかしながら、PS理論から言うと、虚軸の根源のエネルギー世界(原エネルギー界:原エネルゲイア)が存するのであり、そのエネルギーから、±1のエネルギー、即ち、同一性エネルギーと差異共振エネルギーが発生すると考えられるのであり、そう、ダークエネルギーを仮説する現象宇宙の事象であるが、それは、±1の事象に対する Media Point事象ではないだろうか。つまり、Media Point事象が現象宇宙において生起しているということではないだろうか。つまり、加速される宇宙の膨張という事象がMedia Point事象(MP事象)ではないだろうか。
 思うに、個々の事象においては、それは、別々の事象であるが、Media Point事象とは、総合的ないし全体的な共立事象であり、超越エネルギーが共立総合される事象と言えるのではないだろうか。つまり、Media Pointを介して、超越界全体のエネルギーが駆動されていると考えられないだろうか。この共立総合された全体的なエネルギーが、宇宙の膨張を加速させているということではないだろうか。言い換えると、Media Resonance(差異共立)総合全体エネルギーがダークエネルギーではないのか、ということである。そう、Media Pointコスモス・エネルギーと言ってもいいだろう。
 今はここで留める。 

 
参考:
image ダークエネルギーの証拠 2005.7.21
~ 超新星から見る宇宙加速 ~

宇宙には“ダークエネルギー”が満ち満ちている。そう聞くと、映画「スターウォーズ」を思い浮かべる方も多いかもしれません。ダークとは見えない、検出できない、という意味で使われていますが、その正体もまさに“見えず”、まだよくわかっていません。今、天文学や宇宙物理学の分野では、ダークエネルギーがあると仮定しなければ説明のできない事柄が見つかり、その存在が次第に明らかになってきました。

宇宙が膨張していることは、よく知られています。約10年前までは、宇宙は減速しながら膨張していると考えられていました。宇宙の中の物質が、膨張を止める引力になると考えられていたためです。しかし最近になって、宇宙の膨張が約50億年前を境に、減速膨張から加速膨張に転じたことがわかったのです(図1)。これを説明するにはダークエネルギーの存在が不可欠です。天文学からわかるダークエネルギーの最新事情について、東京大学天文学教育研究センターの土居守助教授にお話を伺いました。
http://www.kek.jp/newskek/2005/julaug/darkenergy.html


news@kek


「宇宙の新常識048」ダークエネルギーとはなんですか?

A.ダークエネルギーがなんなのか、その正体はいまだよくわかっていないのです。

 現在、宇宙の73%をダークエネルギーが占めているといわれている。ダークエネルギーとは一言でいってしまえば正体不明のエネルギーである。同じく正体不明のものとしてダークマターがある。この2つは同じように正体不明のものではあるが、ダークマターが質量をもっていると考えられているのに対し、ダークエネルギーは質量をもっていないと考えられている。現在、ダークエネルギーについてわかっていることといえば、質量をもっていないということくらいである。

http://sciencei.sbcr.jp/archives/2008/04/048.html


宇宙誕生            2005/10/15

最新の宇宙論で次の事実を説明できるのでしょうか?

ちょっと不満が残ってしまいます。

   (1) 「ダークエネルギー」「ダークマター」の発生原理
   (2) 宇宙は2段階に加速膨張している
宇宙誕生のストーリを次のように考えたらどうでしょうか。
最終の部分にビッグバンによる宇宙誕生のストーリを記
載しました。
http://www.geocities.jp/timstjp/bb1-dark-enargy.htm

宇宙と光 宇宙を満たすダークエネルギー

 宇宙には何かが満ちている。古くから人々はこう考えてきた。最初に天上の空気「エーテル」を提唱したのは古代ギリシャの哲学者、アリストテレスである。科学の進歩とともに紆余曲折の議論を経た今、最新の宇宙物理学により宇宙を満たす“エネルギー”があることがわかってきた。宇宙を満たすエネルギーはどのように明らかになり、そして宇宙にどのような影響を与えているのだろうか。

http://www.nikon.co.jp/main/jpn/feelnikon/discovery/light/chap01/sec03.htm


宇宙の年齢

宇宙の始まりがよく分からないので、正確には年齢を決めることは出来ないのですが、宇宙が始まって約1秒ほどで元素合成が起こるように、宇宙の始まりの謎はごく初期の非常に短い時間に凝縮されています。
宇宙初期の放射優勢の時代ですら1万年程度ですので、100億年を超すと言われる宇宙の歴史から見ると100万分の1以下です。従って、「年齢」を考えるときには、物質優勢の時代がほとんどを占めていて宇宙のごく初期は無視しても良いでしょう。
http://astr.phys.saga-u.ac.jp/~funakubo/BAU/chapter6/chapter6-4.html

ダークエネルギー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

ダークエネルギー (dark energy) とは宇宙に存在するエネルギーの半分以上を占めるとされるが正体が明らかでないエネルギーである。「真空 のエネルギー」等がそうとされる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC

現在の宇宙の姿 最新の観測が明らかにした宇宙の姿。それは、宇宙を構成する成分の7割以上が宇宙膨張を加速させる謎のエネルギー「ダークエネルギー」、2割以上が正体不明の物質「ダークマター」であり、普通の「元素(※)」は4%程度である、というものでした。この宇宙には、星が数百億、数千億集まっている銀河や、銀河が数百個、数千個も集まっている銀河団、さらに何億光年にもまたがった銀河の網の目状の構造「大規模構造」など、多様な階層構造が存在していることもわかってきています。
http://www.nao.ac.jp/study/uchuzu/univ02.html
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