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2008年07月24日 (18:15)

ナルシシズムと同一性の関係:陽化による自己同一性主義=二項対立の発生と一神教的西洋形而上学

今は簡単に考察するだけであるが(p.s. 詳論となった)、今日の多くの日本人の陥っている自我意識であるが、これは、ナルシシズムが基盤にあると思われるのであり、この力学を明確する必要があると思いついたのである。
 これまで、何度も考察してきたが、今一つ決定力の欠ける考察と言わざるを得ない。そういうことで、精緻に考察を試みたい。
 同一性主義の自我にある自己中心主義エネルギーはどこから来るのか。そこには、尊大な興奮があり、侮蔑・軽蔑・嘲笑・愚弄・見下し・嫌悪・憎悪等があり、高圧・慢心・高慢・傲慢さ等々がある。また、怒りや憤激がある。衝動的であり、独断・専断・独善的である。いわば、病的な同一性心性なのである。
 当然、理論的には、二項対立がある。自我が優越し、他者が劣等である。この自我優位/他者劣位の二項対立性とは、これまで、検討してきたように、同一性による差異(他者)の否定に存すると言えよう。
 端的に、自我による他者の「見下し」の原因は何か。根本から考えると、優越感以前には、劣等感があると考えられるのである。自我は、同一性主義となる以前は、差異に対して、劣等感を感じていたはずである。劣等感ではなくても、少なくとも、「自信喪失」である。
 ここで少し迂回してみよう。女神の神話においては、当然、中心・支配者は女神である。その脇侍のように、女神の子の男性(双子)がいる。【参照:釈迦三尊仏の様式】
 そして、父権神話とは、その補佐であった女神の子が独立することに存する。英雄神話の半面はこれと重なる。
 この女神の子・男性の独立が、同一性形成を導くと考えられる。問題は、何故、女神の支配から独立する必要があるのかである。
 女神の支配とは、原始的な差異共振様相を意味すると私は考えている。だから、原始的差異共振様相から独立する女神の子=「英雄」が存するということである。
 何故、独立するのかと言えば、それは、差異・他者である差異共振様相から分離する要請があるからだろう。つまり、自己同一性(=自我)を形成する要請である。
 そして、いったい、この要請とは何なのかということである。この問題については、既に繰り返し繰り返し検討した。しかし、そこでは、否定的な評価があった。差異共振性における悲・苦が存するので、それを否定・抑圧・排除して、自己同一性(自我)の優位を構築するということことであった。
 しかし、Media Pointにおける太極を考えると、そこには、自然の転変する力学が考えられる。陽極へと志向する力学が生ずるときが考えられる。このときは、当然、陰極を否定する力学となると考えられる。
 PS理論から言えば、陰極-iを否定して、陽極+iへと志向する力学である。暫定的に、陽化と呼んでおこう。当然、同一性化である。理論的には、(+i)*〔-(-i)〕⇒-1と考えられる。平明に言えば、+iの自乗、(+i)^2=-1である。
 しかし、このように考えると、構造主義的である。主観が入らないのである。思うに、自然力学の一環として、構造的に陽化があることは認める必要があるのではないだろうか。
 問題は、陽化が発生して、同一性意識(自我意識、自己同一性意識)が形成されても、否定されたとは言え、陰極-i自体は現存しているのであるから、陰極のもつ「力」ないしは「エネルギー」は隠然として存していると言わなくてはならない。つまり、陽化によって、同一性自己(自我)が形成されても、いわば、無意識においては、陰極-i、差異、他者が存しているのであり、それが、同一性自己(自我)と対立していると考えられるのである。
 即ち、精神現象(正確に言えば、精神身体現象である)において、同一性自己と差異他者の対立が厳然として存在しているということであり、矛盾・葛藤・齟齬の様態にあるということになる。永遠の対立である。
 しかしながら、陽化においては、同一性志向性が優位にあるので、当然、陰極である差異他者は劣位におかれると端的明快に言えるのではないだろうか。これが二項対立の根因・起因であると考えられるのである。だから、同一性自己は他者差異の否定に傾斜する力学をもつのである。ここに、上記の否定感情が入ると言えるだろう。これで、一つの問題、即ち、二項対立の発生原因は解明できたとしよう。【p.s. 一点注意すべきことは、本来、+iと-iは共振様相ないしは極性・対極性様相にあるのであり、他者差異-iの否定は、単に、陰極の否定だけではなく、差異共振(共鳴)性の否定でもあるということである。】
 次は、ナルシシズムである。しかし、この問題はもう以上の考察から自明的であると考えられる。即ち、陽化=同一性化とは、陽極が陽極自体を映すことと言い換えられるのではないだろうか。つまり、「自己」が「自己」を映すということである。そう、鏡像である。つまり、陽極+iが鏡面となり、陽極自体+iを鏡像として映し、それと結合するということである。換言すると、自己鏡像化である。自己が自己を映すのである。自己完結主義である。
 これで、ナルシシズムの説明はつくのではないだろうか。そして、悪の発生もこれで説明できるであろう。同一性自己主義、ここに、ナルシシズムがあり、他者差異否定、つまり、反倫理があるのである。
 さて、最後に、敷衍的に、一神教(ヤハウェ的一神教)について、この視点から見てみよう。
 一神教、つまり、ヤハウェ的一神教であるが、それは、端的に、同一性自己の形而上学と言うことができよう。陽化の形而上学である。多神教・異教・自然宗教を排除するのは、陽化の徹底化と見ることができよう。【イエス教は、本来は多神教、女神教であると考えられる。だから、キリスト教は絶対矛盾的自己同一と言えないことはない。】
 しかし、重要な点は、超越神性ないしは超越性である。それは、多神教にはない点である【p.s.  正確に言うならば、多神教にも、超越性があるのである。でなければ、神性は発生しないだろう。ただし、多神教においては、超越性と自然性とが共鳴する関係にあることが、一神教との決定的差異である。だから、多神教は内在的超越性をもつ考えられるかもしれない。それは、正しいだろう。しかしながら、PS理論は、即非的内在/超越性をもつ言うべきである。】。差異他者を否定したとき、それは、抽象化を意味するのである(抽象芸術と一神教との関係があるだろう)。偶像の禁止である。
 そして、超越性の根源は、イデア界(虚軸)にあると考えられるのである。PS理論から見ると、Media Point が、消失・喪失して、超越性と現象性の絶対的二元論が発生したと考えられるのである。神の世界と現象世界を結ぶものは、何もなくなったのである。ただ、信仰があるだけとなったのである。あるいは、キリスト教で言えば、キリストと聖霊を介すしか、神とのコミュニケーション(語呂合わせすれば、カミュニケーションである。【p.s.  精緻にいうと、一神教においては、神と人間とのコミュニケーションがあるのかどうか難しいところである。プロテスタンティズムを見てわかるように、神からの一方的な恩寵の有無が、救済と関係するのであるから、正確に言えば、コミュニケーション、カミュニケーションがないのである。】)はなくなったのである。
 ここでは、Media Pointの喪失がいちばんのポイントである。【これが、精神文化的に、西洋と東洋を分離するポイントである。】とまれ、ヤハウェ的一神教によって、いわば、超越的同一性自己主義が発生したのである。あるいは、形而上学的自己同一性主義の形成である。そして、これが、西洋文明の支配・主導的精神であり、これが、西洋資本主義を駆動させている精神であると考えることができよう。単に、同一性自己主義ではなくて、超越的ないし形而上学的同一性自己主義であるということである。その帰結が、今日のサブプライムローン問題である。
 根本的に差異共振精神を否定しているので、このような惨禍となるのである。ただし、イエスの精神には、本来、差異共振性があるのであるが、それが、ヤハウェ的一神教性によって、阻害されてしまっていると考えられるのである。
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