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2008年08月01日 (18:33)

主観現象と哲学・理論:専門内部(既成のパラダイム)と専門外部(他者の存在)

私は主観現象の整合的言説化が哲学ないしは理論であると言った。主観現象であることに注意したい。一般に自然科学は、観測データを基にして、それを合理化し、法則を立てる。そして、実証に耐えうるものとする。もっとも、法則となるまでは、仮説であり、しかし、法則自体も、あるとき、新しい発見によって反古にされるのである。物理学で言えば、相対性理論や量子力学の発見を見ればいいだろう。
 この観測データとは、機器を用いて測定した客観的データである。それが、大雑把ではあるが、自然科学的方法である。(もっとも、仮説の構築には、直感・霊感・想像力がきっかけとなるのは言うまでもないだろう。自然科学における主観性の必要がここにある。)
 さて、哲学の場合は、観測データとは、哲学行為者の主観現象であると私は考えるのである。この点で、自然科学とは異なると言えよう。言い換えると心身現象が哲学のデータである。だから、個の様態が基盤となると考えられるのである。
 以上が基本であり、それに対して、哲学史がある。これは、他の分野と同様に、伝統と破壊的創造との歴史と言えよう。もっとも、大哲学者の正典(キャノン)の存在は変転しながら、古典として継続するものである。
 私が考える哲学行為とは、主観現象の整合的言説化であるが、このためには、当然、これまでの哲学を探究して、主観現象の整合的言説化に役立てる必要があると考えられる。しかしながら、主体はあくまでも、哲学行為者の主観現象であり、正典となる哲学ではない。正典はいわば、道具である。その正典の道具を借りて、哲学行為者の主観現象を秩序・合理的に言説化するのが、目標である。
 当然、ここでは哲学行為者の哲学的創造がポイントであり、哲学の正典の訓詁学が問題ではない。主体はあくまで、哲学行為者の主観現象であり、道具は哲学の正典等である。
 ここまでは、それほど問題はないだろう。私がとりわけ言いたいのは、主観現象の様態である。もし、哲学行為者が、専門領域の主観現象に留まっているとすると、専門領域以外の主観現象を知ることができないと考えられるのである。これは、哲学だけでなく、他の領域でも同様である。社会科学領域において、その専門領域の主観現象に留まっているならば、それは、閉じられたものとなろう。もっとも、社会科学においては、哲学よりも、客観的データが重視されることは確かであるが。
 とまれ、哲学においては、主観現象の領域が何よりも重要であると考えられる。それは、専門領域に留まっていれば、当然、枯渇すると考えられる。(それと類似したものは、文学や芸術であろう。)
 さて、ここで、私の哲学的試行錯誤(哲学的試論)であるが、それは当然、私の主観現象を、哲学の正典等の読解を介して、理論化する行為である。私は、必要上、哲学、神話学、宗教、神秘学、文学、芸術(音楽、美術、映画)、そして、経済(アマチュア程度であるが)や自然科学(これもアマチュア程度)等に触れてきた。
 また、読書以外でも、自然や人間に接してきたのである。そのような中から私の主観現象は生まれているのである。だから、哲学領域の専門家の主観現象とは、当然、異なるものである。いわば、哲学領域の他者・外部である。
 この哲学領域の他者・外部の主観現象を、哲学領域の言説化を介して、秩序的に言説化するとき、私の「哲学」・理論が生まれるのである。もっとも、私の場合は、Kaisetsu氏との遭遇によって、まったく予想だにしなかった理論、不連続的差異論が生まれたのである。そして、それからの試行錯誤から、プラトニック・シナジー理論へと進展したのである。
 ということで、私はいわば専門領域の他者・外部の主観現象をもって理論的行為をしているのであるから、当然、専門領域に留まっている専門的哲学研究者(これは、哲学行為者、哲学者ではない)が見ると、アカデミズムから外れた邪道・外道に見えることは確かである。
 しかし、哲学史を見ればすぐわかるように、正典となった哲学者はほとんど初めは異端者である。スピノザがそうであり、また、ニーチェがそうである。これは、哲学だけでなく、自然科学の領域、他の領域でも普遍的に見られる現象である。異端が正統になるのである。
 一言でいえば、創造のためには、旧弊化し、枯渇した領域を活性化するには、既成のシステムにあてまらない他者が必要なのである。
 とういうことで、不連続的差異論やプラトニック・シナジー理論は、哲学的アカデミズムにとっては他者であり、その内部からは当然、理解・認識できないものであると考えられるのである。
 「異端審問官」又は「石頭」のbloghiro-dive氏に以上のように、述べる次第である。
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