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2008年08月04日 (22:53)

PS理論は形而上学ではない:トランス形而上学としての即非モード論:トランス・モダン超脱構築主義

PS理論は、一見、新しい形而上学に見える。超越的差異形而上学と呼ばれるかもしれない。しかしながら、Media Pointのコンセプトから見ると、形而上学ではないのである。何故なら、超越性(差異)と同一性が即非様相で関係しているからである。もし、新形而上学ならば、超越性と同一性が切断されていて、前者が優位、後者が劣位の二項対立になるだろう。しかし、前者と後者は即非モードで関係しているのである。この絶妙な関係があるので、トランス形而上学と言える。

p.s. 以下で、Media Pointにおける即非的超構築のことに言及した。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10122829836.html
 結局、即非的超構築主義とは、同一性は形成するが、同一性主義になろうとすると、超越的差異が介在するので、脱同一性主義となり、脱構築(脱構造化)されるのである。だから、ポスト構造主義・トランス構造主義と言えるだろう。
 だから、端的に言えば、同一性と差異との即非様態がそこには出現しているのである。決定的ポイントは、同一性主義が脱構築されていることである。これはいくら強調しても強調しすぎることはない。以前にも指摘したが、同一性主義と同一性は決定的にことなるのである。
 とまれ、Media Pointにおける同一性と差異との即非様態(即非Mode)であるが、この、新たに創造される即非様態を、即非的超構築と暫定的に呼んだわけであるが、確かに、きわめて特異な構築であると言えよう。これは、形而上学的発想に囚われていると、理解できない事象であると考えられるのである。
 一般に構築とは同一性的構築・同一性システムを捉えられているが、この即非様態「構築」とは、それとはまったく異質な「システム」である。同一性主義でもないし、差異主義でもないのである。同一性と差異との即非共振(即非共鳴)様態の発現があるのである。
 これは、まったく新しい事象と言わなくてはならない。もっとも、それは、西洋文明中心にした場合である。日本文化、東洋文化は、根源的には、即非様態文化であると考えられる。しかし、それは、原始的な即非様態文化であり、近代化によって、古くさくなってしまったとは言えよう。しかしながら、今日、トランス・モダンとしての新しい即非共振様態の創造が出現したと考えられるのである。
 そう、古い即非様態とは、近代化されて、連続性を帯びてしまったのと思うのである。そこで、政治経済的には、不正・腐敗等が蔓延ると考えられるのである。
 
p.p.s. 即非的超構築主義とは、トランス・モダン超構築主義である。英語にすれば、Trans-Modern Trans-Reconstructionism となろう。そう、超構築主義はTrans-Reconstructionism ないしは、Trans-Constructionism となろう。【p.s. 後で、超脱構築主義Trans-deconstructionismの方が的確であると考えた。】

3p.s. 最近翻訳がちくま学芸文庫でも見られる神秘学者のルドルフ・シュタイナーであるが、確かに、彼の「思想」をオカルト主義と呼ぶことは正しいのであるが、そうラベル貼りをすると、オカルト主義ではない彼の思想の「哲学」性が排除されてしまうと考えられる。
 シュタイナーの「哲学」の重要性は、トランス・モダン的志向性を明確にもっていることである。近代的世界観=物質主義が全面的に破壊的になり、精神が喪失される事態が発現したが、その近代主義の危機を乗り越えるためには、単に、精神・霊性の世界へと赴くのではなく、近代主義的知性・合理性(近代合理性)を形成した上で、精神世界へと赴かなくてはならないことを述べているのである。
 近代を単に否定しているのではなく、近代を包摂して、脱近代主義へと志向しているのである。これは、トランス・モダン超構築主義と、ある意味で通じる発想である。トランス・モダン(簡略化して)は、モダンを単に否定するのではなく、近代主義の近代性を包摂して、より高次の差異の世界へと転換することを目ざしているのである。
 先にも述べたが、シュタイナーの精神思想は、そのままを無批判に受容するのではなく、知的に、哲学的に、変換して読むべきであると思う。それが、建設的であるだろう。


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コメント

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■無題

ご存じの通り、哲学も人文科学のうちの一つになるわけですが、特に彼のような輩を相手にする場合、一次資料を用いて仮説を証明していくべきです。
解説本は論外、本来なら翻訳すら訳者の解釈に委ねることになってしまうので忌避したいところです。
そういった意味でいうなら、彼が法曹家で博士号を持ち、高額所得者であるというのも証明されているわけではないのです。
ヤフオクの安いパソコンに飛びつくなど、あまり高い年収があるとも思えないのですけどね。
通りすがり 2008-08-03 06:13:38 [コメント記入欄を表示]

■どうも貴重なご意見ありがとうございます。

おっしゃる通りだと思います。
しかし、論破するということに集中するのは、不毛だと思っています。
 これまでの「格闘」でおわかりのように、ほとんど不毛でした。(もっとも、超構築主義という発想が生まれたのは生産的だったと思います。)
 そうですね。彼のようなタイプは、結局、近代的知識人といちおう言えるかと思いますが、今日では、反動化しているのですね。
 Kaisetsu氏との共著を既に考えています。しかし、確かに、原著に当たって、書かなければならず、まだ、いつになるのか予定が立っていません。
 少なくともカント、フッサール、デリダ、ドゥルーズの主著を原著で当たる必要があります。
 ポイントはやはり、フッサールとデリダだと思っています。デリダがフッサール研究で読み落としたものに、トランス・モダン性があると思います。
明月庵 2008-08-04 00:31:07 [コメント記入欄を表示]

■独善性と近代主義

私は、だいぶ前から近代主義は狂気であると言ってきました。もっとも、これは正しくは、後期近代、ないしは末期近代ということにあてはまります。そして、この末期近代主義「精神病」が知識人に蔓延していると感じています。
 このタイプは自分は正しく、他者は批判の対象という独善主義でありますので、
始末に困る次第であります。
 PS理論では、-iにトランス・モダンの意味があると思っていますが、それを、末期近代主義者は否定しています。
 この末期近代主義のパラノイアについては、すぐ論じたいと思っています。
 
明月庵 2008-08-04 01:00:00 [コメント記入欄を表示]

■虚栄心と劣等感

彼は明らかに虚栄心の塊ですね。何かにコンプレックスをもっています。学歴コンプレクスがすぐ思い浮かびます。
 彼に少し似たタイプは周囲にいます。その人の場合、明らかに父親コンプレックスです。父親が有名な学者でした。思うに、彼も、その面があるような感じがします。
父親か祖父かわかりませんが(確か、祖父が学者だと思います)、立派な親か祖父をもって、コンプレックスを感じているような感じがあります。自分のほんとうの人生を生きられない不幸なタイプですね。そう、端的に、劣等感が根源にあると思います。それが裏返しで、優越感志向になっているんだと思います。
明月庵 2008-08-04 01:21:48 [コメント記入欄を表示]

■妄想

末期近代主義的知識人は、パラノイアであり、妄想家です。
だから、法曹家、博士号、云々は確かに怪しい感じあります。
 なにか、ブログで、自分を相当、偽装している可能性はあります。
 英語を最近使っていましたが、初歩的な間違いがありました。それを見ると胡散臭い面があります。
 彼の言う通りなら、日本の哲学界は悲惨ですね。
明月庵 2008-08-04 01:41:31 [コメント記入欄を表示]

■生真面目、糞真面目

彼のこれには辟易します。辟易が彼に対する反応のすべてを物語ると思います。
反論する気がなくなります。
このようなタイプが日本の知識人にはあります。いったいこれはどこに原因があるのでしょうか。
 私の勘では、明治時代の官制的封建主義に根因があるように感じています。
 つまり、絶対主義です。政治的二項対立です。
 
明月庵 2008-08-04 02:16:44 [コメント記入欄を表示]

■思考力

どうも独り言のように書きますが、彼のようなタイプが哲学者ならば、まったく自分で考えることができなくなっていますね。
 これはおそろしいことです。自分で考える力をなくした字義通りに則る、機械人間ですね。
明月庵 2008-08-04 07:03:20 [コメント記入欄を表示]

■感性の抑圧

どうして、彼のようなへ理屈屋が生まれるのかと思ったら、結局、感性を言語観念で抑圧しているからだと思いました。
これは、結局、同一性主義です。感性喪失が、同一性主義狂気を生んでいるということだと思います。
明月庵 2008-08-04 07:16:12 [コメント記入欄を表示]

■おはようございます

独り言でいいんですよ。
また、あとで来ます。
通りすがり 2008-08-04 07:25:50 [コメント記入欄を表示]

■こんばんは。

通りすがりからトンビに改名します。

さて早速なのですが。

>私の勘では、明治時代の官制的封建主義に根因があるように感じています。
>つまり、絶対主義です。政治的二項対立です。

その勘を裏付けるために正確な資料を用意して書いたほうがよいと思います。
明治政府の絶対主義は大日本帝国憲法発布前の政治制度であって、それ以降は立憲君主制です。

官制的封建主義・・・これは造語として意味がつながりません。
また、封建主義という言葉自体が、あまり的確なものとは言えないと思います。
いえ、気分は分かります。

政治的二項対立・・・政治の二項対立でしょうか?
何と何が対立していて、そしてその対立の何が日本の知識人に影響を及ぼしたかを、仮設して述べ、それを証明していくほうがわかりやすいと思います。

どうも、注文ばかりですいません。
でも、知を愛するという哲学の間口を広げていってもらいたいのです。
論理学だけでは殺伐としてしまいますからね。
トンビ 2008-08-04 21:07:37 [コメント記入欄を表示]

■お返事します:1

トンビ様

「官制的封建主義云々」の文はざっと書いたものですが、
以下、思いつくまま答えてみます。

*************

>私の勘では、明治時代の官制的封建主義に根因があるように感じています。
>つまり、絶対主義です。政治的二項対立です。

その勘を裏付けるために正確な資料を用意して書いたほうがよいと思います。
明治政府の絶対主義は大日本帝国憲法発布前の政治制度であって、それ以降は立憲君主制です。

renshiの回答:確かに、おっしゃる通りだと思います。
私の言いたいのは、君主制の部分です。

*************

官制的封建主義・・・これは造語として意味がつながりません。
また、封建主義という言葉自体が、あまり的確なものとは言えないと思います。
いえ、気分は分かります。

renshiの回答:これは、立憲君主制と言うべきでしょうが、
私の言いたいのは、君主制が継続する封建的垂直性が、国家権力と重なっている事態です。

*************

政治的二項対立・・・政治の二項対立でしょうか?
何と何が対立していて、そしてその対立の何が日本の知識人に影響を及ぼしたかを、仮設して述べ、それを証明していくほうがわかりやすいと思います。

renshiの回答
私には、日本の近代知識人のイメージは、父権主義のそれです。あるいは、封建主義のそれです。明治君主制のもっていたヒエラルキーを体現しているイメージがあります。
これは、正に、二項対立、官主民従であり、これを政治的二項対立と呼んだと思います。言い換えれば、官が正義であり、民が悪ということでもあります。
 
明月庵 2008-08-04 22:36:01 [コメント記入欄を表示]

■お返事します:2

ここで、話がそれますが、まだよく考えていませんが、「封建主義」ないしは父権主義の同一性主義と近代主義の同一性主義がイメージでは一致します。しかし、「封建主義」の場合はなんらかの超越性が原点にありますが、近代主義の場合はそれがなくなり、自己・自我が原点になります。しかし、形式はそれほど違わないような感じがしています。
 さて、知識人への影響ですが、この官主民従のヒエラルキー=二項対立が、構造として、近代日本の知識人に植え付けられているのではないかと思うのです。言い換えると、官主民従のイデオロギーが無意識のうちにあるので、知識人は自分は優位にあり、他の人間は劣位にあると感じるのではないでしょうか。
 彼の場合、極端なケースだとは思いますが。
 以上ざっと述べました。今はここで留めます。


どうも、注文ばかりですいません。
でも、知を愛するという哲学の間口を広げていってもらいたいのです。
論理学だけでは殺伐としてしまいますからね。

renshiの回答:いいえ、コメントは、礼節があるものなら、歓迎します。
明月庵 2008-08-04 22:36:32 [コメント記入欄を表示]
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