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2008年08月20日 (15:57)

試論:Media Point における超越波動からの物質波動への変換原理について:Media Point という即非変換点:「神」の波動の投影としての森羅万象である。

試論:Media Point における超越波動からの物質波動への変換原理について:Media Point という即非変換点:「神」の波動の投影としての森羅万象である。

物質波動であるが、それは、超越波動の痕跡と考えられる。現象界では、物質次元(時空四次元)において、量子の波動や粒子を捉える。しかし、それは、量子本体の影である。正に、イデア論がここで確認できるのである。
 すなわち、イデア=量子の影としての物質の波動/粒子を知覚しているに過ぎないのである。物質時空四次元に垂直にこのイデア次元が屹立していると考えられる。五次元である。
 端的に本件について言えば、超越波動と物質波動とは、即非様態にあると言える。超越波動は物質波動という物質の影を射影する。この点では、超越波動・即・物質波動であるが、前者はイデア次元にあり、後者は物質次元(現象次元)にあるから、両者は非の関係である。
 ここで、振動数について言うと、物質波動は数値化されるが、超越波動は数値化されない。では、超越波動は、いかなる様態にあるのであろうか。イデア対極差異(略して、対差[ついさ])の共鳴様態があるとは言える。つまり、超越波動とは、イデア対差の共鳴様態(簡略化して、イデア共鳴態)にあるということである。
 そして、イデア共鳴態は、振動の相違によって、多元・多様的である。だから、多元多様イデア共鳴態がMedia Point の虚軸=イデア界において形成されていると考えられる。いわば、多元多様Media Point Resonance、Multiple Media Point Resonanceである。そして、これが、いわば、神の原型である。そして、宇宙、人間、生命、物質の原型である。ユダヤ神秘思想のカバラーのアダム・カダモン(原人)とは、これを指しているのではないか。
 そう、この神の原型であるが、三神の原型である。+iの神と-iの神と(+i)*(-i)の神の三神が根源的に存すると言えよう。記紀の三柱の神とはこれを表現したものと考えられるし、普遍的に見られる、根源的三元性はここに存すると言えよう。たとえば、三巴紋とはそのシンボルになる。これも普遍的である。
 この問題は興味深いがここで留めておき、もう一度、本件の問題について検討したい。すなわち、超越波動と物質波動の関係であるが、たとえば、前者のすべてが後者への射影・投影・映写されるのだろうか。
 有り体に言えば、「神」の波動は物質波動として投影されるのか、である。思うに、境界があるはずである。超越波動が、Media Point に「存している」が、それが、Media Point という変換媒体で変換されるとき、思うに、1/4回転の倍数回によって限定されると考えられる。当然、不連続になるのである。しかし、問題の核心は、波動変換ないしは振動変換である。私が思うのは、この変換には限界があるのではないのかということである。
 そう、哲学的に言えば、差異と同一性との関係である。差異が同一性化された終端において、同一性主義が発生するが、そこでは、差異は否定されている。これとパラレルのことが波動でも言えるだろう。超越波動(差異)が物質波動(同一性)になるが、超越波動は否定されるのである。
 少し整理する必要がある。物質波動の限界ないしは範囲であるが、ある種の超越波動は、まったく物質波動化されないことを意味するのか(A)、あるいは、物質波動には、そもそも、超越波動が排除されていることを意味するのか(B)ということになろう。
 Bについて言えば、たとえば、振動数が超ミクロになっても、そこには、まったく超越波動は存しないということになる。単に物質波動だけが存するということである。
 Aについて言えば、ある超越波動は物質波動化されるが、別の超越波動は物質波動化されないということになる。つまり、ここには、物質の壁があるということである。たとえば、きわめて霊妙な超越波動が発動しているが、それは、物質波動になるには、霊妙であり過ぎるので、物質波動以前に留まっているということが考えられる。物質波動になるには、超越振動のある範囲に限定されるのではないのかということである。
 問題は感覚と物質の関係にもなるだろう。たとえば、紫外線や赤外線は、超感覚・超視覚的である。しかし、それらは、いちおう、物質波動として捉えられているだろう。だからと言って、紫外線や赤外線が超越波動であるということではない。それらは、超越波動の影である。
 どうも私の設問は愚問であるようだ。端的に言って、超越波動はMedia Point において、物質波動へと変換されると、理論的に考えられるのである。だから、Aの問題はナンセンス、不合理である。そして、Bの設問であるが、それも、ナンセンスである。最初に述べたように、即非様態である。いわば、即非変換があるのである。だから、「神」の波動は物質波動として投影されるのかという問であるが、それは、その通りであると言わなくてはならない。
 「神」の波動の射影としての宇宙であり、地球であり、自然であり、人間等の森羅万象なのである。だから、汎神論である。空海の述べたように、五大に皆響きありである。
 ということで、次のような波動論は、超越波動(質)と物質波動(量)を混同している誤りを犯しているのではないだろうかという疑念があるのであるが、粗忽に即断は避けたい。後で検討したい。

「10のマイナス33乗cm以下の世界は非物質の世界といわれます。それは非物質の振動の世界。
ですから意識というスピリチャルな場の世界でもあるのです。
http://subtleeng.thd-web.jp/e8132.html
鈴木 俊輔 の サトルの泉」

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