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2008年09月03日 (16:44)

一神教の問題:キリスト教三位一体と太元・太極的三位一体:トランス一神教的新太元文明の黎明

この問題は、東方キリスト教(正教会)と西方キリスト教(カトリック教会、プロテスタンティズム)との対立にも関係する重大な問題であるが、以下、本問題の解明の試論である。
 PS理論では、根源的三元性ないしは三一性を説く。それは、自己認識方程式の左辺に明確に現われている。即ち、(+i)*(-i)である。+iが一つの根源要素であり、-iがそれと対となる根源要素であり、双極を形成していて、その極性様態事象(根源事象)が、いわば、太元(太極)である。換言すると、根源的陰陽性(超越的極性)である。古事記では、これは、三柱の神として表現されていると考えれるのである。
 この根源事象を三位一体と呼ぶことができるだろうか。それは可能である。ならば、キリスト教の三位一体とはどう関係することになるのか、である。
 キリスト教の三位一体論は、推察では、この根源的三位一体論から発生しているが、それとの関係はいかなるものだろうか。すなわち、「父」と「子」と「聖霊」の三位一体と根源的三位一体との関係はいかに。
 「父」が問題であるが、「父」は、結局、太元・太極であると考えられる。つまり、「父」は本来「母」である。これが、キリスト教ないしは一神教の大問題点の一つである。
 「子」であるが、それは、根本的には、「母」の「子」である。これは、⇒+1の+1と推察できる。
 「聖霊」であるが、それは、端的に、差異共鳴エネルギーと考えられるので、Media Pointである。
 「父」が唯一神・超越神ヤハウェになっているのであるが(聖書には、本来、ヤハウェとは別に、エローヒームが存する)、ここにキリスト教ないしは一神教の最高度の問題があると言っても過言ではない。
 唯「独り」の神と言った時、それは、「子」の+1と混合されやすいだろう。言い換えると、「一(いつ)」の問題である。
 太元・太極を「一」と見ることは可能であるが、それは、「一」即「双極」なのである。だから、唯一神の「一」とは異質である。言い換えると、唯一神の「一」とは、端的に言えば、同一性主義なのである。超越的同一性主義なのである。差異=神々を排除して形成された超越的同一性主義である。
 だから、作業仮説的であるが、キリスト教三位一体性とは、根源的三位一体性とは異なるものであると言わなくてはならない。
 唯一神=超越神の超越的同一性主義を、根源的三位一体論から「脱構築」することができるのであるし、今日、それが必要になっていると考えられるのである。トランス一神教である。
 ヤハウェは、新しい太元・太極、即ち、新母神に包摂されることになるのである。もっとも、既述したように、ヤハウェは実際は、太元・太極・太母の極端な一面、物質主義的側面だったのである。それが、今や、生成回帰によって、本源的な双極様相を復活し始めたと言えるのではないだろうか。
 新たな「天の岩戸」の開扉である。ヤハウェが基盤・「インフラ」となり、新しい太母文明(新超越光文明)の黎明となっていると考えられるのである。
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