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2008年11月12日 (00:07)

イデアと物質の関係について:今朝見た夢から:イデア的美への郷愁としての「エロース」

一般に人は、寝てるとき見る夢をどう判断されるのだろうか。私はその夢には、大きな意味を与える。というか、夢のヴィジョンが私の心にインパクトを与えるので、夢を真面目に受けとるのである。
 これまで見た夢でいちばん不思議な夢の一つは、不連続的差異論が生まれる数日前に見た夢である。美しい娘が生まれた夢を見たのである。しかし、赤ん坊にしては、頭が大き過ぎたのである。とまれ、私は、それは、ソフィア(叡知)の誕生の夢であると今でも考えている。
 今朝見た夢の核心を言うと、私は登山をしていたが、ある場所で、頂上から降りてきた人たちに出会ったのである。そう、女性(たち)に出会ったのである。透明に輝く美しい眼をした女性(たち)であった。私は彼女を見て、深い感動をおぼえた。私はこれこそ、私が求めていたものだと、涙を流して、感動をおぼえたのである。
 夢の最初の部分は端折るが、私は、「頂上」から降りてきた、澄明な眼をした女性は、イデア界の女性だと考えたのである。ベートーヴェンで言えば、「歓びの歌」のエリジウムの娘たち(又は女神)に当たるのではないだろうか。
 私は、イデア界の美を確信したのである。結局、イデアと物質は不連続なのである。これが私が今朝得た確信である。イデアの美と感覚の美は不連続なのである。もっとも、この点は微妙である。
 これまで、私は、イデアと物質、差異と同一性の即非性について述べてきたが、これだけでは、両者の関係がまだ不明確なのである。つまり、主従関係が不明確なのである。即非の即の部分で、イデアと物質が等価となるのであるが、「非」の側面での関係が不明確なのである。これは、端的に、イデアが主であり、物質は従ということを意味するのである。
 思うに、これでも、夢のヴィジョンの意味を解明していない。主従を超えていると思う。イデアこそ本体、実体であり、物質は仮の宿りであるということである。ここにおいて、プラトン哲学が全面的に肯定されるのである。
 物質とは、イデアの影像に過ぎないと言えば、明快であろう。言い換えると、正にイデア論そのものであり、現象はイデアの影に過ぎないということである。
 ここで私はプラトンやシュタイナーやインド哲学と一致したことになるのである。
 物質的欲望は、いわば、倒錯なのである。美とは何か。それは、イデアの美にほかならない。性愛とは、「エロース」の影に過ぎないのである。「エロース」とは、イデア的美への郷愁である。
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