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2015年05月24日 (14:11)

父権自我精神力学の解明:父権-陽自我は反動反射的暴力衝動をもち狂気化する

画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12030436489.html

父権自我精神力学の解明:父権-陽自我は反動反射的暴力衝動をもち狂気化する

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

先に以下を書いたが、まだ、直観的に不分明であるので、さらに検討したい。
 陰陽図を用いて考察していく。


        
         http://gaiax3.ti-da.net/e4240444.html

問題は先に述べた父権自我の否定衝動化、否定自動化(オートマティズム化)の力学である。
 父権自我又は陽自我の同一性力学はどのようなメカニズムなのだろうか。私は「陽の中の陰」に抑圧力学を見た、陰と陽との境界にココロがあると考えたのであり、そうすると、境界面に対して抑圧が作用しているということは可能性がある。
 どちらが正しいのだろうか。それとも、両方が正しいのだろうか。
 どうも、両方が作用していると観るのが正しいように思えてきた。
 つまり、陽の中の陰は当然、本体の陰と結びついている。
そして、陽の同一性力学を受けて、陰を抑圧するのである。
 この陰に対する抑圧であるが、それは、陽の中の陰を介するにせよ、結局は、陰本体にはたらくのである。
 それは、当然、ココロの境界面に対して、抑圧するということになるだろう。
 ということで、父権自我、陽自我の、陰に対する同一性的否定・抑圧は、陽の中の陰とココロの境界面の両方に作用するということになった。これを、現時点での、仮説とする。
 さて、父権自我、陽自我の否定衝動、否定自動化についてであるが、先に心理学者ユングの中年の危機の説を借りて、精神の成長の二段階を考えた。つまり、成人に成長する過程は陽主導であり、その後、中年へと推移するにかけて、精神の力学のいわばベクトルが逆転して、陰主導になると考えるのである。
 つまり、若いときは、陽自我、父権自我が主導するのであり、これは、能動性の形成という点では、重要な意義があるだろう。
 そう、動物性の形成とも言えよう。攻撃性とも言えよう。
 しかし、その後、精神力学のベクトルが交替して、いわば、陰ベクトルが主導化すると考えられるのである。
 陽から陰への転換である。陽エネルギー(陽の氣)から、陰エネルギー(陰の氣)への転換である。 
 陽主導のときは、陽の中の陰の要素が比較的少ないと考えられる。つまり、陰は強い抑圧の対象にはならないと考えられる。
 敵が弱小ならば、攻撃するに及ばないというような感じである。
 しかし、陽主導でありながら、次第に陰陽生成は、陰の力を強化すると考えられる。そして、ついには、陰主導へと転換するということになる。
 とまれ、陰の力の強化に対して、陽自我、父権自我は、否定、抑圧の力動を行使し出すと考えられるのである。
 そして、この抑圧力学において、反動として、精神暴力性が生まれると考えられる。抑圧以前においても、精神暴力はあるが、それは、反動ではない。能動である。あるいは、ストレートな能動性である。もちろん、攻撃性もあるが、反動のような反射性はないのである。つまり、反動は、主体的ではなく、他者反応で、受動である。
 さて、この反動反射性をもつに至った陽自我・父権自我であるが、この反動反射性こそが、暴力・攻撃的衝動性、発作性、自動性(オートマティズム)をもつと考えられる。
 このオートマティズムを父権自我・陽自我はコントロールできないだろう。
 何故なら、無意識の内に、反動反射的暴力衝動性が発現するからである。自然の一つの理なのである。
 しかし、これを剥き出しにすれば、ホッブズの万人に対する万人の戦争状態になるのである。
 ここで、仁倫、叡知、文化の問題が出てくるのである。
 人類は、父権化する以前の母権制において、陰陽調和の文化をもっていたと思われる。それは、男性がもつ攻撃性を鎮める叡知的システムであったと考えられる。
 しかし、父権制が形成されると、攻撃・暴力性が剥き出しになってくる。しかし、そのとき、社会統制のための何らかのルールが形成されたと言えよう。法律であり、共同体の掟、宗教等である。
 しかしながら、近代になると物質主義が中心化して、父権制を統御する文化システムが崩壊する。
 この精神統御システムの崩壊において、上記の父権自我・陽自我の攻撃・暴力的衝動・発作が生まれるのである。
 闇であり、魔であり、狂であり、である。闇・魔・狂である。
 近代は陽文化であり、陰文化を喪失している。(本当は、陰文化があるのであるが、陽文化に圧倒されている。陽文化主流であり、陰文化は傍流であるが、しかしながら、後者に未来があるのである。)
 陰文化が陽文化、つまり、父権自我、陽自我をコントロールする叡知をもつのであるが、それが、マイナーであるために、父権自我、陽自我はいわば、野放し、野性、放縦状態なのである。
 言い換えると、父権自我・陽自我は、自分の反動反射的攻撃・暴力性に無意識なのである。
 さて、ここで知性ないし理性の問題に触れると、父権自我・陽自我は言語能動性をもっているが、言語能動性自体は知性ではない。
 知性は他者、陰他者との相互関係から生まれると考えられる。他者、陰を肯定しないと知性ないし理性は形成されないと考えられる。
 しかし、父権自我・陽自我は、他者を否定・抑圧・排除・隠蔽するのであるから、知性は形成されないということになる。
 そう、言語能動性をもつので、知識はあるだろうが、知性は欠落すると考えられるのである。
 例えば、ある事態・事象に対して、父権自我・陽自我は、自我観念をある事態・事象に対して、抑圧的に提起するのである。
 その事態・事象自体を見るのでなく、自我観念を適用するのである。この自我観念が一見知性のように観えるが、実は、知識に過ぎないのである。
 これは、一種の妄想である。妄念である。そして、この父権自我・陽自我が強化されると完全に妄想・妄念の世界、つまり、狂気の世界に入って行くと言えよう。
 知性ないし理性から逸脱した妄狂魔の世界に入るのである。
そして、これが、今日の某国の支配・権力層の精神世界なのである。
 また、比較的若い日本の女性(一部)の精神世界なのである。
某国の科学者が出鱈目なのも、この父権自我精神力学にあると言えよう。父権自我知識表象はあるが、他者的知性・理性が欠落しているのであり、暴妄狂魔化するのである。

父権自我の二項対立形式のオートマティズム力学:陽から陰への転移力学:陰衝動に対する衝動的二項対立
テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合
先に以下を書いたが、今一つ、直截性に欠ける。
 結局、二項対立の自動性の力学の明確化である。
 心理学者のユングは中年の危機を指摘していた。
 その考えを敷延するなら、精神プロセスにおいて、初めは、陽主導であるが、ある時点から陰主導に転換すると思えるのである。
 陰主導へと転換したとき、それまでの精神力学では対応できないと考えられる。何故なら、それまでは、陽のエネルギーが主導的であったが、そのとき、陰のエネルギーが主導的になるからだえる。
 つまり、陰が賦活されるのであり、そのため二項対立力学は、いわば、新たな挑戦を受けるのであり、抑圧していた陰が活性化するので、それに対抗して、陽の抑圧が強化されると考えられる。
 つまり、陰の賦活とは、陰エネルギーの力動化であり、そのため、陽は不自然な抑圧体制を構えると思えるのである。
 つまり、陰陽図で言えば、陽の中の陰が賦活され、情動化するが、それに対して、陽自我が情動的に抑圧、制圧を行なうと考えられる。
 陽の中の陰の衝動に突き動かされて、陽自我は、抑圧を衝動的に行なうと考えられる。この抑圧衝動こそが、二項対立のオートマティズム化・自動化の原因と考えられるのである。
 そう、知的コントロールではなく、衝動的抑圧なのであり、そこには、不合理性が主導的なのである。いわば、狂気である。
 これで、本件の解明は深まったと考えられ、ここで留める。

比較的若い日本女性の父権自我化の力学について
テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史
日本の女性の高慢さの力学の分析は必要である。
 端的に病的である。病的な高慢さ、慢心さである。「うつ病」予備軍である。
 とまれ、分析を試みたい。
 他者性、陰他者性、差異がない。また、当然、ココロを抑圧するのである。
 明らかに、陽自我中心主義である。
 先に以下の画像を活用して説明した。

父権自我(二項対立主義)の精神暴力力学について:陽自我は陰他者を憎悪し殲滅を目指す

http://gaiax3.ti-da.net/e4240444.html

陽の中の陰が陽自我の情動性であると見たのである。
 そして、陰(陰他者)の領域は抑圧されるのである。
 そう、問題にしたいのは、父権自我の自動性、機械的反射性、オートマティックな反射性である。
 二項対立性が自動化、反射化しているのである。
 他者に対して、二項対立的反応が反射的に発せられるのである。
 そこでは、他者の言への吟味はなく、ただ、否定、排除、威圧という反応があるだけである。
つまり、知性を欠いた二項対立の枠組みの反応なのである。二項対立形式の自動的反応なのである。
 このオートマティズムの力学を解明したいのである。
 とまれ、父権自我は二項対立の型があり、自我は他者に対して、優位であると独断形式(カント的に言えば、超越論的形式)があるのである。そう、一種の先験形式である。
 ここには、他者、差異がまったくないのである。
 さて、上の陰陽図であるが、ココロというものは、陽と陰との境界に存していると思われるのである。
 そして、父権自我にはこの境界が欠落していると思われる。
 正確に言うと、陽自我の同一性によって、この境界が排除されていると思われるのである。
 簡単に図示すると、

      陽自我
____↓↓↓____
 
     境界(ココロ)
___________

     陰他者領域

このような力学である。
 ↓は否定、抑圧、排除、隠蔽の力学である。
 そして、オートマティズムであるが、それは、上の陰陽図の陽の中の陰から発しているのではないだろうか。
 ここが自我情動-力動の発動源のように思えるのである。
 今は思考実験的に言うが、陰他者を抑圧しているので、その反動として、陽の中の陰が情動化、力動化するように思えるのである。そして、それが、オートマティズム化していると思えるのである。
 つまり、これは、端的に、自我の闇-魔-狂である。
 他者に対して、いわば、反射的に、この陽の中の陰が二項対立形式の暴力力学を発動させるように思えるのである。
 後でさらに検討したい。

2015年05月20日 (23:40)

検討問題:より氣のメカニズムに迫る:氣振動と生命発現の関係

画像やリンクは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12029061317.html

検討問題:より氣のメカニズムに迫る:氣振動と生命発現の関係

テーマ:生命力とは何か:氣と小食と腸内細菌

氣と生命体の関係について、水平形態秘数として5、垂直発展秘数として7、また、水と生命との関係から、水素結合・氣などを仮説してきた。
 しかし、氣の振動・波動から生命発現への力学はまだ、解明していない。
 そう、振動・波動から形態が生まれることは既に把握されている。
 以下にあるクラドニ図形は有名である。しかし、それは、氣振動ではなく、物質振動による形態形成である。
 とまれ、これまでの考察から、虚軸における陰陽振動・波動は、陰陽ガウス平面上で、イデアないしエイドスとしての原形を描くと考えられる。
 直観では、陰陽ガウス平面上に現象形態が折り畳まれているように思われる。
 形態の問題はとりあえず、以上で留めておこう。
 問題は、生命自体の形成である。
 端的に、生命とは何ぞ哉である。
 生きているとは何ぞ哉である。
 これまでの考えからは、氣振動・波動があり、それが、生命物質体、生命有機体を形成するのであり、氣振動・波動が生命の根源であり、生命物質体は、それによって維持・保持されているということになる。
 だから、氣振動・波動が衰滅すると、生命物質体も衰滅、つまり、死滅することになる。
 つまり、生命物質体はエントロピーだけに支配されることになる。
 このエントロピーに対抗しているのが、反エントロピーである氣振動・波動である。
 だから、生命とは、氣振動・波動による活動であるということになる。
 思うに、氣振動・波動は、一つのプロセスをもっているだろう。
 それも、秘数7の節・律動をもったプロセスである。
当然、開始があり終止がある。生から死へとである。
(追記:以上と以下は矛盾している議論である。以上では、氣にも生死があるとし、以下では、氣は永遠であると述べている。有限と無限である。思うに、表現の仕方がよくないのである。氣の場合、思うに、螺旋的回帰、螺旋的プロセスが永遠にあるのだろう。そして、一回の螺旋的回帰が一つの生死であり、次の螺旋的回帰が次の生死【来世】ということになるのではないだろうか。)
 この氣振動・波動プロセスであるが、それは、どういう力学をもつのだろうか。
 虚軸に存するから、どうも、それ自体は消滅しないように思えるのである。永遠の生命である。
 実軸は量子軸であり、ここは生成消滅する。しかし、虚軸は氣軸であり、保持されるように思えるのである。
 思うに、スピリット(霊)というものは、虚軸の氣と重ねられるのではないだろうか。
 生きている時は、意識は実軸から現象界へと志向している。
 しかるに、死んだ時は、意識は現象界、実軸から後退して、虚軸へ回帰しているだろう。だから、虚軸界は霊界ではないだろうか。
 ただし、原点MPには、太極ないし太一が内在超越的に存する。だから、それを含めて、霊界と言うべきかもしれない。
 いわば、太陰陽、太氣というべき様態でスピリット(霊)が存するのではないだろうか。
 生命の議論からスピリットへと展開したが、今は、ざっと以上のように留めておこう。
 
クラドニ図形 - nifty
ドイツの物理学者クラドニは、18世紀末ごろから弦や棒の振動の研究を始め、やがて「音響学の父」と呼ばれるようになった。彼は水平に置いた板や膜が横振動をしている時にその上に砂を撒くと、その砂は節線というほとんど振動しない部分に集まることを発見した。この砂が作るパターンは通常クラドニ図形と呼ばれていて、現代でもギターの胴板の振動を調べる時などに使われている。

 下図は理想的な膜の上のクラドニパターンと周波数の比率関係を示した実験結果である。これはティンパニ型に張られた膜に、ドラムの周囲から中心に向かって1/4の点に震動源を据えて振動数を上げて行った時、膜の上に置かれた砂が順次作る幾何学的パターンとその時の数値データである。膜上の砂が最初に円状になる時の周波数を基本の1として、以下周波数をどんどん上げて行くと様々なモードができては崩れていく。しかしその後のパターンと周波数には一定の関係比がある。



 ところで通常のドラムはピッチ感、つまり音の高さを音名で決められるような高低感がないが、ティンパニやケルトドラムやインドのタブラなどにははっきりしたピッチ感がある。また理想的な弦では上音(基本音より周波数の高い音)の周波数は倍音関係にあるが、理想的な膜ではこのようなモードの周波数は倍音関係になってはいない。これは線の振動が1次元的なものであるのに対し、膜の場合は面的・2次元的な振動であることと関係がある。振動中でも基本的に静止したままの位置である振動の節も、弦の場合は点であるのに対して、膜の場合には2種類の節線が存在する。すなわち全体を2分する直径方向の節線(a)、およびドラムヘッドの周りの形からくる同心円の節線(b)である。ここではこの2種類の節線を図の下に2つの数字(a b)という形で表現してある。

 ティンパニに限らず膜状の打楽器にはその素材や大きさや張力によって、基本の振動周波数が変わってしまう。例えば基本モードの周波数は張力を2倍にすれば半オクターブ上がり、膜の直径を短くすれば高くなる。20インチ径の膜の基本周波数は32インチのそれより60%高くなる。(1:1.6→1.6:1というように逆数関係がある。この関係は月と地球の公転周期の関係にも似ている。)

※周波数比の基音の振動数は次の式で与えられる。f1=(0.765/2a)x(T/ρ)1/2
(aは膜の半径、Tは膜の縁の単位長あたりの張力、ρは膜の面密度)

1.
神が音に託した「指紋」 クラドニ図形 ∞ Resonance Square - YouTube
► 3:52
www.youtube.com/watch?v=V5acI4XPGNM2012年5月11日 - 4分 - アップロード元: eiπ + 1 = 0
物質と音との間には固有振動数というものがあって、特定の周波数で共鳴を起こす。 そのときの振動の強弱によって ...
2.
塩の模様だけじゃない!クラドニ図形を駆使したミュージックビデオが凄い ...
a-mp.jp/article/3842


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* 類似ページ
音を可視化する不思議な図形、あれはクラドニ図形と呼ばれているの. 金属・
プラスチック・ガラス・ボウルなどにピンと張ったラップなどの平面にスピーカーなどで
振動を与え音程を変えると、共鳴周波数において平面の強く振動する部分と、振動の節
となり振動 ...
3.
ずっと眺めていたくなる! ハイレゾウォークマンが不思議な“クラドニ図形 ...
getnews.jp/archives/467473


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* 類似ページ
2013年12月3日 ... 音が図形化するこの現象は、ドイツの物理学者エルンスト・クラドニの名前にちなんで
命名された“クラドニ図形”というもの。砂を載せた板を特定の周波数を持った音などで
振動させると、平面の振動する部分と振動の節になって動かない部分が ...
4.
砂が描く幾何学模様「クラドニ図形」が超凄い! - NAVER まとめ
matome.naver.jp/odai/2135090471858931701


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* 類似ページ
2012年10月22日 ... 周波数に応じて幾何学模様の形が変わっていくのが凄いです。

2015年05月19日 (00:34)

父権自我(二項対立主義)の精神暴力力学について:陽自我は陰他者を憎悪し殲滅を目指す

画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12028278793.html

父権自我(二項対立主義)の精神暴力力学について:陽自我は陰他者を憎悪し殲滅を目指す

テーマ:哲学:叡知学、哲理学、哲科学

父権文明は暴力文明(戦争文明)であるが、その構造、精神構造、心的構造を、改めて解明したい。
 今日、父権主義は、日本では、女性、比較的若い女性に見られる。二項対立精神である。平俗に言えば、○×精神である。正誤・正邪精神である。
 それも、「私」は正しく、他者は間違っているというものである。
(女性の場合、シュタイナー的に言えば、アストラル体(感情・欲望身体)、私の用語では、感性体が主導的なので、男性よりも、二項対立が酷烈になるのであるが、それは、ここではおいて置こう。)
 不連続的差異論の段階に戻ると、私は連続的同一性という概念を立てた。これは、陽自我が陰他者に対して行なう内的行為(精神行為)である。
 つまり、自我が他者の不連続(非連続)的差異を否定して、同一性化するのである。そう、この連続的同一性化が端的に精神暴力である。
 これは、端的に傲慢であるが、それが当然となるのは、他者に対する感性、つまり、ココロが欠落している、あるいは、排除、埋没しているからである。
 そう、これは、当然、野蛮な精神である。しかし、これが、現代の一般的な日本人の精神なのである。
 他者性の欠落、ココロの排除、道徳・倫理・仁倫・倫道の欠落はどこから生じたのか。
 簡単に言えば、父権精神からであるが、もっと木目細かく見よう。
 そう、これは、精神の病と関係するのである。(シュタイナーは精神病という言葉を嫌悪していた。精神は本来、病気にはならず、身体が病気になるというようなことを説いていた。確かに、身体が故障していると、精神が異常になることは考えられる。今は、いちおう、精神の病ということを考えたい。)
 さて、以上は既述のことであり、新たに、精神暴力の力動・情動、あるいは衝動の根因について考察を行ないたい。
 精神暴力の力動・情動・衝動の根因は、自我・陽にあるのか、それとも感性体・陰にあるのか、それとも、両者癒着状態にあるのか。
 陽自我は、陰他者を支配しようとする。何故か。
 それは、陽自我にとって、陰他者は、異物であり、「気に入らない」ものだからである。
 「わたし」として、陰他者を支配したいのである。
 問題は情動精神力学である。(情氣という言葉を造語してもいいだろう。衝氣という言葉もありえるだろう。)
 陽自我に情動性があるのか?
 情動は陰である感性体にあると見るのが本来である。
 すると、陽自我の暴力の様態とは何なのか。
そう、暴力様態の問題である。
 いったい、陽自我の様態とは何なのか。
 「わたし」の様態とは何か。
 やはり、「わたし」の感情はあるのである。それは、陽における陰である。
 陽の陰が、陰他者に反発するのである。

http://gaiax3.ti-da.net/e4240444.html

 だから、陽の陰に暴力情動があると言えよう。
 そう、陽自我とは陽的陰と結合しているのであり、自我情動をもつのである。
 そして、この自我情動性が陽自我暴力力動の正体・本体と言えよう。
 そして、自我意識は、この自我情動暴力に対して、無意識であるのが、陽自我の精神暴力の根因であると言えよう。
 これで、陽自我精神暴力のメカニズムを解明したと言えよう。
 一大問題は、この陽自我精神暴力をコントロールする精神文化、叡知の存在である。
 現代日本では、あるいは、現代世界では消失しているのである。
 有り体に言えば、ココロの文化の消失である。原因は当然、唯物科学のせいである。技術ではない。技術は、ココロに関係すると思われる。
 では、ココロ文化の消失のメカニズムは何なのか。
 結局、陰他者の認知の有無の問題である。(うつ病と言われる症状はこれと関係すると見ている。)
 陽自我は基本的に独一性をもっている。
 つまり、自己中心性である。「私は絶対的一(いつ)である」ということ視点である。言い換えると、「唯一神」性である。
 だから、他者、陰他者に対しては、否定的に対応するのである。他者を排除、強く言えば、消滅、殲滅、殺戮したくてしょうがないのである。
 他者は居て欲しくないのである。死ねである。
 つまり、陽自我は本質的に殺気をもっているのである。
 そして、この殺気の対象の他者であるが、当然、陽自我の対極、対蹠的存在が対象となるのである。
 そう、陰他者である。(ユダヤ・キリスト教的父権文明である西洋文明にとっては、東洋文明、母権文明である。)
 結局、自我の精神暴力の対象は陰他者である。これが憎悪・嫌悪・破壊の対象なのである。
 日本父権民族は日本母権民族を嫌悪・憎悪・嫌忌し、殲滅・消滅・殺戮したいのである。

2015年05月15日 (00:45)

GP陰陽哲理学(氣哲理学)と気功指圧術を連結させる?:氣的有機体医術へ

リンクは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12026722249.html

GP陰陽哲理学(氣哲理学)と気功指圧術を連結させる?:氣的有機体医術へ

テーマ:生命力/氣自衛医智学:唯物機械論医学批判

『養生法の探求』の今村光臣氏の指圧術他は、氣の医学・医術である。主に、氣的技術である。
 それに対して、私のGP陰陽哲理学(氣哲理学)は、理論であり、仮説である。哲学的「科学」仮説である。
 私の説は医術的実践性が乏しいので、気功的指圧術他と結合すると、「科学・技術」、哲理学的医術となろう。
 とまれ、氣的有機体、氣的身体の解明が必要である。
 氣と身体の結びつきの様態の解明が必要である。

追記:一言、氣と身体の結びつきの力学について言うと、先に次ぎように述べた。

氣の精神の覚醒の遅れ:秘数5は水平原理数で、秘数7は垂直原理数では?
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12025744868.html

氣的数的原理が身体を形成するということになる。
 そのとき、身体には、この氣-数的原理が織り込まれているだろう。
 また、先に水と生命の関連から、水素結合氣を仮説した。
 思うに、体内の水的液体に氣が宿るのである。当然、体内の水的液体の主体は血液である。
 今村氏は氣血という中医学の概念を唱えている。
 そう、血液は水素結合を介して、氣を内包しているだろう。

参照:以下の次の説明は私の氣内包的水-血液仮説と通じよう。「気の流れる場は表皮ケラチノサイト細胞の下層となる真皮結合織の多水層であることが判明して」いる。


新・命を耕す 12 (05/14)

『気』の本体については、これまでの科学的な計測により気の科学的要素として、

①脈動する赤外線輻射、②変動する生体磁場、③16ヘルツ以下の超低周波、④2万ヘルツ以上の高周波、⑤イオン流、⑥生物フォトンなどの微粒子、⑦静電気&動電気

などが検出されている。

また表皮剥離実験や、アイソトープ(放射性同位元素)注入実験、遠赤外線測定器による計測、髙周波反応実験などからは、

気の流れる場は表皮ケラチノサイト細胞の下層となる真皮結合織の多水層であることが判明しており、

この真皮結合織多水層を流れる気の速度は正常な人では毎秒20センチメートルから30センチメートルであることまで明らかにされている。

つまり『気』と呼ばれる摩訶不思議な生命エネルギーは決して摩訶不思議な似非科学のトンデモ大賞を授与されるかもしれない架空の妄想の産物のたぐいではなく、

あくまで厳密な科学的な観測によって、実在が確定しているある種の物理エネルギーであると同時に、まぎれもないバイタルフォース(生命力)の本質であることがわかっているのだ。

* 新・命を耕す 11 (05/13)
* 新・命を耕す 10 (05/11)

養生法の探求

◆2015/05/13(水) 

病気は自力で治せ! 指圧で治せ!

飯山一郎のHP

2015年05月15日 (00:19)

氣の精神の覚醒の遅れ:秘数5は水平原理数で、秘数7は垂直原理数では?

リンクは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12025744868.html

氣の精神の覚醒の遅れ:秘数5は水平原理数で、秘数7は垂直原理数では?

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

先に以下のように書いたが、秘数5は葉や花弁でわかるように、水平形態原理数で、秘数7はチャクラでわかるように、垂直様態原理数ではないだろうか。
 GP陰陽哲理学において、実軸(天地軸)に沿うように植物が生長するが、そのとき、例えば、蔓植物の螺旋の支柱は7サイクルの様態が形成され、水平的には例えば、五角形の葉が生成されるということではないだろうか。
 だから、例えば、樹木の生長とは単なる反復・循環ではなく、7サイクルの進化が入っているのではないだろうか。
 いわゆる、螺旋的回帰がその生長にはあるということではないだろうか。
 思うに、飛躍するが、今日、人類が行き詰まっているのは、7サイクル進化の衝動を適切にとり出していないからではないだろうか。つまり、反動的になっているからではないだろうか。
 少なくとも、氣の精神の覚醒が遅れていることが問題ではないだろうか。

7周期らせん・プロセス仮説:原子価電子オクターブ・サイクル:陰陽7スペクトラム(陰陽7チャクラ)

とまれ、陰陽らせんに関しては、7サイクルを組み込みたい。
 そう、質的区別を言うならば、5は形態原理数であり、7は成長プロセス原理数と言えよう。あるいは、前者は空間原理数であり、後者は時間原理数とでも言えるのではないだろうか。
 最近は、時間についてあまり述べてこなかった。
 これまでの検討では、時間は、凸i*凹i⇒±1の⇒に存するだろう。言い換えると、原点MPに存すると言えよう。氣から量子エネルギーへの次元転換に存するのではないだろうか。
 そう観ると、7サイクルの7は、実は、陰陽振動事象が内包している原理数ではないだろうか。

2015年05月12日 (13:36)

7周期らせん・プロセス仮説:原子価電子オクターブ・サイクル:陰陽7スペクトラム(陰陽7チャクラ)

画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12025665270.html

7周期らせん・プロセス仮説:原子価電子オクターブ・サイクル:陰陽7スペクトラム(陰陽7チャクラ)

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

最下部の参考の原子の周期律表は実にわかりやく、興味深い。
最近は氣と原子の関係を検討していて、周期律表について気になったので、検索してみたら、以下のページがあったのである。
 見事なオクターブ・サイクルである。ドレミである。
ここで想起するのは、シュタイナーがアカシャ年代記や人生で唱える7サイクル説である。
 自然には、神聖数5に関連して、フィボナッチ数列や黄金比が生まれるし、あるいは、螺旋や渦巻がある。
 それと同様に、7サイクル、あるいは、オクターブ・サイクルがあると言えよう。
 虹の七色、一週間の7日、7つのチャクラ、七味、七福神、等々。
思うに、らせんで考えると、円が7サイクルで回帰することになる。
 次の画像のいちばん上のものがわかりやすい。
周期表(しゅうきひょう)とは - コトバンク

平面螺旋型周期表

円錐型周期表

ブロック型周期表

端的に以下の画像がぴったりで素晴らしい。
周期表 - Wikipedia
ベギエ・ド・シャンクルトワ の「地のらせん」概略図

どうも「7周期らせん・プロセス」を仮説として立てられるように考えられる。
 敷延すると、弦巻植物に蔓にも、適用できるかもしれない。
とまれ、氣哲理学とどう結びつくだろうか。
 陰陽と7サイクルはあまり相性がよくないようである。
陰陽は2,3,5,6,8,12に数に関係するが、7とはあまり関係がないようだ。
 しかし、陰陽はらせんを現象的に形成すると考えられる。二重らせん等。
 そうすると、陰陽に7周期、7サイクルを組み込むことで、より統合的な仮説になるのではないだろうか。
 これまで、ピュタゴラス学派の神聖数5にとりわけ注目してきたが、思うに、5と7が宇宙の創造に関する二大根本数かもしれない。そう、それに3を加えれば、七五三である。
 そう、七五三が三大根本数と言えるかもしれない。
 とまれ、陰陽らせんに関しては、7サイクルを組み込みたい。
 そう、質的区別を言うならば、5は形態原理数であり、7は成長プロセス原理数と言えよう。あるいは、前者は空間原理数であり、後者は時間原理数とでも言えるのではないだろうか。
 最近は、時間についてあまり述べてこなかった。
 これまでの検討では、時間は、凸i*凹i⇒±1の⇒に存するだろう。言い換えると、原点MPに存すると言えよう。氣から量子エネルギーへの次元転換に存するのではないだろうか。
 そう観ると、7サイクルの7は、実は、陰陽振動事象が内包している原理数ではないだろうか。
 しかし、上述したように、陰陽に関係する原理数と7は符合しないのである。
 思いつきでは、易における6つの爻と基軸を加えて、7レベルを想定できるのかもしれない。
易占い Q&A - 恵祥先生のしあわせアカデミー

http://www.keisho.server-shared.com/qa.html
 
上図の上卦と下卦の間にいわば、ゼロ爻(零爻)ないし中爻を想定するのである。そうすると、7つの爻になる。
 牽強付会の面があるので、強弁はしないが。
とまれ、仮説として、陰陽には、7サイクルが組み込まれているとするのである。そう、つまり、7スペクトラムが陰陽振動において、生じるということでもある。
 つまり、陰陽ガウス平面で観ると、凸iを1とすれば、凹iが7となる。そして、原点MPが4である。
 今ざっと作図すれば、

            1:凸i
            |
            2
            |
            3
            |
            4(原点MP)
            |
            5
            |
            6
            |
            7(凹i)

である。1から7は凹iから始めてもいいだろう。逆の方がいい。

            7:凸i
            |
            6
            |
            5
            |
            4(原点MP)
             |
            3
            |
            2
            |
            1(凹i)

      陰陽ガウス平面7チャクラ図(仮称)
      (ただし、実軸は省いてある)

 これは、等分割均衡原理(仮説)から見ても、納得できることである。
 そうすると、やはり、6つの爻に原点の爻(ゼロ爻、ないし、中爻)を想定して、考えることができることになろう。つまり、易は、今のままでは不十分ということになるだろう。
 そう、何故、原点MPにゼロ爻(中爻)を置くかというもう一つの理由は、そこが、第4チャクラのアナハタ・チャクラに対応するからである。

チャクラ全開のためのHOW TO♡

チャクラはそれぞれ音階や色と対応しています。


ルートチャクラ   赤        ド

ハラチャクラ    オレンジ     レ

ソーラープレクサス 黄色       ミ

ハートチャクラ   ピンク/ミドリ  ファ

スロートチャクラ  水色/青     ソ

サードアイ     青/藍色     ラ

クラウンチャクラ  白/紫      シ

といった対応になります。

http://ameblo.jp/kolob/entry-11974105887.html
美しく豊かに生きる由迦のスピリチュアルリアリズム - アメーバブログ

とまれ、今はここで留める。

追記:上図の陰陽ガウス平面7チャクラ図であるが、虚軸の凸iと凹iにそれぞれ、3つチャクラがあるのは、数学的におかしいのではないだろうか。
 そこで、回転を加えればいいのではないだろうか。
先ず、第一のチャクラの凹iが一回転(2π回転)すると、第二のチャクラとなり、同様に、第三、・・・となり、最後は第七のチャクラの凸iに到達すると見れば、齟齬は生じないだろう。
 計7回転である。第一チャクラが一回転、第二チャクラで二回転等々と進み、第七チャクラで七回転である。
 
 
参考:
楽しい高校化学(第1章-第7講)
1.元素の周期律

原子を原子番号の順に配列し、原子の価電子の数を比較すると、

価電子の比較

左の図のように、価電子の数が周期的に変化することがわかる。これを元素の周期律といい、19世紀の後半、メンデレーフにより発見された。
元素の周期律にもとずいて、元素を原子番号の順に並べ、性質の似た元素が縦の列に並ぶように配列した表を元素の周期表という。

http://www2.yamamura.ac.jp/chemistry/chapter1/lecture7/lect1071.html

2015年05月10日 (21:09)

水分子とは何ぞ哉:水の不思議について:作業仮説:水素結合は氣的結合

画像等は以下を観られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12025006811.html

水分子とは何ぞ哉:水の不思議について:作業仮説:水素結合は氣的結合

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

水と生命は当然、切り離すことのできない関係である。
 氣・陰陽哲理学からどのように、水を観ることができるだろうか。
 直観でいうと、水は陰である。あるいは、陰陽調和的である。
 ここで作業仮説、思考実験をすると、水素原子を陰、酸素原子を陽とする。

 2H2+O2⇒2H2Oである。

陰+陽⇒水
である。
 問題は正四面体に似た構造を水分子がもつことである。また、それが、水素結合していることである。
 ここでは経験的直観で試行錯誤しよう。
 水はココロと親和力がある。
 それは、水素結合に拠るとしよう。
 すると、水素結合は陰陽調和性ともっているのである。
 言い換えると、氣の「原子」のようなものである。
 水素を陰、酸素を陽とする。HとOの水素結合、ここに氣の「原子」が作用するとしよう。
 では、どうして、水分子は正四面体的なのかである。
 それは単純に、水分子は、水素に二本、酸素に二本のいわば、手があるからだろう。
 水素側には正電荷、酸素側には、負電荷がそれぞれ、二本の手をもっている。だから、
 等分割均衡原理からすれば、正四面体になるのが、条理である。
 また。水分子の結合角からして、正四面体になるのが当然である。
 この水分子の結合角に自然の、生命の秘密があるように思える。
 とまれ、現時点では、水素結合を陰陽調和の分子単位、現象単位、物質単位としよう。
 つまり、氣的物質単位である。
 私が森で感じる氣には、この水素結合があるのかもしれない。
 あるいは、川の水面に感じる融合性にも、水素結合があるように思える。
 そう、陰陽があるのだから、水素結合は、波動性を当然もっているのである。
 いわば、水素結合氣である。
『無双原理』の桜沢如一(ゆきがず)氏に拠ると、水素は陽で、酸素は陰である。だから、上記は逆にしないといけないだろう。

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 とまれ、最初に、陰陽を原子に当てはめるたのは、桜沢氏に拠ると、石塚左玄氏である。つまり、陰の代表として、カリウム(K)、陽の代表として、ナトリウム(Na)としたのである。
 とまれ、ここでのポイントは、水分子は水素結合という陰陽結合の単位をもっているという作業仮説である。
 水素結合は氣の物質結合の単位ということになる。
 どうも、『無双原理』を読み直す必要がある。
 今は問題提起で留める。


追記:水とココロは親和性があるという点について、直観をさらに述べたい。
 いったい、親和性とは何だろうか。
 水とココロの水が親和、共感、共振・共鳴するということなのだろうか。
 陰陽論から言えば、当然、対極物が共振するのである。
 だから、水とココロの水は共振しない。
すると、ココロは火的なのではないだろうか。
 そう、先に、原点MP・ココロを光と見たのである。
 光は火と見ていいだろう。
 すると、水とココロの火(光)が共振するということではないだろうか。プラトン立体である正四面体は火の要素に当てられている。
 そうすると、水の正四面体(近似値的)と火の正四面体が共振するということなのだろうか。
 とまれ、水は直観では、上記したように、陰である。また、当然、ココロの火は陽である。(勿論、相対的にである。)
 どうも、水と火が共鳴して、親和力が生じるということではないだろうか。
 今は、直観で留める。

追記:
どうして、水はココロと親和するのか。共振するのか。
 先に、水と火との共振を述べたが、そうではなく、水の水素結合氣が、ココロにおいて、共振するというようにも考えられる。どちらなのか。
 よい音楽を聴く時、音楽の陰陽調和氣がココロに作用するだろう。
 あるいは、夜明けの光を目にしたときは、光の陰陽調和氣がココロに作用するのではないだろうか。
 つまり、音楽にしろ、光にしろ、氣波動がココロに作用すると見るのである。
 ならば、水の場合も同様ではないだろうか。
 だから、先に述べた、火と水の共振論はやめておく。
 
**************************

目で見て操作する「分子の世界」-そのミクロ構造と物性- 基礎知識ベース
図2-5-3a. 分子構造
混成軌道の形成は炭素原子に限らず他の原子でもみられる。14族のSi,Geは炭素と同じくsp3混成軌道により四面体形の水素化物(SiH4、GeH4)などを作るし、アンモニウムイオン(NH4+)も四面体形である。(N+とCは同じ電子配置であることに注意! )

水分子を考えよう。水分子は2つのOH結合間隔が等しく、結合角が104.5°の折れ線型構造をもつことはよく知られている。

この値は正四面体の結合角109°28′に近く、水分子の形成において酸素分子にsp3混成が起こっていると考えることができる。酸素原子は8個*の電子をもっているから、混成軌道には2つの不対電子と2つの孤立電子対が入っている。よって水素原子とは2つだけが結合に関与し、図のような構造になる。

*ただし1sは内殻を形成。混成軌道生成に関与する電子は6個。

いまだ謎多き水分子の世界 -その意外な構造と運動様態の秘密に迫る ...
図1.水素原子と酸素原子の模式図
図2.水分子および共有結合の模式図

図2.水分子および共有結合の模式図
図3.水の4つの水素結合の模式図

図3.水の4つの水素結合の模式図

酸素や窒素など、電子をひきつけやすい原子と共有結合した水素原子は電子を引っ張られて弱い正電荷を帯び、隣接原子の持つ負電荷との間に共有結合の10分の1程度の弱い結合を生じる。これを水素結合と呼ぶ。水分子の場合、酸素原子のもつ6つの価電子のうち、2つの電子が2つのOH結合に関与して、残りの4つが2組の孤立電子対となり、隣接する水分子と合計で4つの水素結合を作ることができる。


1.
三平方の定理 (ピタゴラスの定理) の歴史 - 正多面体
mail2.nara-edu.ac.jp/~asait/pythagorean/.../pyta_section8.htm


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そのため、正多面体 (regular polyhedron) のことをプラトンの立体 (Platonic solid) と呼ぶことがあります。プラトンは .... プラトンは、対話編 (ティマイオス) で正 4 面体、正 8
面体、立方体、正 20 面体を、 火、空気、土、水の 4 元素に対応させ。他方 5 角 12 ...
2. [PDF]
025 正多面体(プラトンの立体)
www.geocities.jp/ikemath/_userdata/ho_pdf/025hozyu.pdf


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025_正多面体の種類. 正多面体(プラトンの立体)の種類. 多面体のうちで,すべての面が合同な凸正多角形であり,どの頂点に集まる面の数も等. しい凸な立体を正多面体と
いい,次の 5 種類だけしかない. (1) 正 4 面体 (2) 正 6 面体 (3) 正 8 面体 (4) 正 12 ...
3.
p数学4
www.geocities.jp/ja1tmc/tamentai.html


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正多面体はプラトンの立体と呼ばれているのは、「ティマイオス」によるもので、プラトンが発見したものではない。 ... の物体の始原(アルケー)だと仮定」し火の構成要素として
正四面体、同様にして、土を正六面体、空気を正八面体、水を正二十面体に割り当て。

2015年05月06日 (13:36)

人体のミクロコスモス(小宇宙)と太陽系のマクロコスモス(大宇宙)の相関について

リンクは以下を観られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12023192692.html

人体のミクロコスモス(小宇宙)と太陽系のマクロコスモス(大宇宙)の相関について

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

直近で以下のように記した。
 氣一性数理波動原理(長いので、氣一数波原理)は、植物の場合の生成原理であるが、動物、特に、人体のそれにするには、まだ、不足する点が多い。
 ここで、シュタイナーの人智学の視点を借りたい。それは、実は、古風な視点であるが、いわば、温故知新である。
 シュタイナーは人体、とくに、内臓のモデルとして、太陽系を観るのである。
 つまり、太陽系と内臓システムは対応・呼応しているとシュタイナーは観ているのである。
 恒星である太陽、内惑星の水星、金星と外惑星の火星、木星、土星をセットにして、それと呼応するシステムを人体の内臓に観るのである。
 詳述は後に譲るが、5惑星という視点が面白いのである。天王星、海王星を抜くのである。当然、冥王星もである。
 とまれ、興味深いのは、陰陽五行の五行の5と符合するという点である。また、当然、ピュタゴラス学派の神聖数5との符合するのであるが。
 私は陰陽論を唱えながら、陰陽五行の五行については、これまで、まったく看過してきた。
 とまれ、シュタイナーの小宇宙/大宇宙論と陰陽五行の五行論は通じる面があるように感じられるのである。
 いちおう、氣一数波原理から観ると、やはり、5という元数が重要である。これから、五惑星の生成が説明がつくように思われるからである。元数5は単に、植物的原理だけでなく、太陽系や人体の原理に通じると思われるのである。
 今はここで留める。


参考:
陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)
www.geocities.jp/mishimagoyomi/inyo5gyo/inyo5gyo.htm


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古代中国では、自然界のあらゆるものを陰(いん)と陽(よう)にわけました。たとえば、太陽は陽で月は陰、奇数が陽で偶数が陰、表が陽で裏が陰という具合になります。こうした思想を陰陽思想といい、この陰陽思想はやがて五行と結びついていくことになります。

陰陽五行とは|だるまんの陰陽五行
www.daruman.info/about/index.html


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陰陽五行」とは、「木」「火」「土」「金」「水」という五つの要素を、見えない世界までを含む森羅万象にあてはめて、世の中のさまざまな謎を測るものさしです。 陰陽五行に通じてくると世界観が変わること請け合いです。 大きな決断から日常の迷い、健康の問題に ...

陰陽五行説
www.fafner.biz/act9_new/fan/report/ai/oni/inyohgogyoh.htm


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陰陽道の根拠となっている思想が、古代中国で成立した「陰陽五行説」である。これは、「陰陽論」と「五行説」とを組み合わせて、宇宙から人事にいたる全ての現象を説明しようとする理論である。 「陰陽論」と「五行説」は、それぞれ発生基盤を異にしたものであった
...

陰陽五行説|基本思想を3ステップでわかりやすく説明 | Timeless Edition
www.timeless-edition.com/archives/3522


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陰陽五行説の基本的な思想を簡単に、わかりやすく説明しています。陰陽、五行ともに3つのポイントにまとめています。このポイントが、様々なジャンルに広がる陰陽五行思想の基本となります。

陰陽五行|五行推命学研究所
www.interq.or.jp/chubu/sarai/sub02-02-gog.htm


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陰陽五行」とは東洋哲学(特に中国)における「宇宙の根本原理」であり、同時にそれが中国に起源する推命学や易学、或は漢方医学・針灸の根本原理ともなっています。元々は「陰陽説」と「五行説」は別々のものでしたが、それが中国戦国時代頃に一つとなり「 ...

シュタイナー「精神科学と医学」メニューに戻る - Bekkoame
www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/medizin/Medizin.html


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この「精神科学と医学」は、シュタイナーの医学に関する基本的な考え方を深く知るために不可欠なテキストです。医学を専門とする方だけでなく、人間の身体というものを自然との関わりで神秘学的に本当に深く認識したい方にとっても多くの実りを与えてくれると思 ...

検討問題:氣イデア、氣理一性の構造・構成について:氣一(いつ)数波動原理
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12023168886.html

2015年05月06日 (13:16)

検討問題:氣イデア、氣理一性の構造・構成について:氣一(いつ)数波動原理

検討問題:氣イデア、氣理一性の構造・構成について:氣一(いつ)数波動原理

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

先に以下参照のように考えた。
 生命的個体、また、その部分において、氣的情報というべき氣イデアが内属している、あるいは、内包(超越的内在)されているという視点である。
 氣を波動、振動と観るなら(おそらく、複雑な、複合的それと思われるが)、その波動・振動の質に生命情報があると思われる。いわば、構造(構造主義の構造でもある)と言ってもいいだろう。それは、氣的構造、高次元の構造である。
 植物や動物ならば(細菌類も含めて)、それは、種的なもの、類的なものであろう。
 つまり、種的構造、種的情報があるということになる。
 正に、イデア的である。(ハイデッガー哲学の「存在」はおいておくが、一言いえば、「存在」は実はイデア性を持っていると思われるのである。)
 とまれ、氣一(いつ)性、氣全体性、氣ホロン性の視点を忘れないでおこう。
 さて、先に書き忘れたのが、数理的視点である。
 つまり、ピュタゴラス学派のもつ数的原理性(原理主義と書きたいが、どうも語弊があるので避ける)である。数理性である。
 例えば、神聖数(秘数)5である。これは、正五角形、五芒星(ペンタグラム)、そして、黄金比、フィボナッチ数列等に通じるのである。
 この数理性、言い換えると、原数性、元数性、源数性が、氣イデアには含まれると考えられるのである。数と形態との相関性がここにある。
 以前、フィボナッチ数列を以下のように観た。

0⇒0+1⇒1+1⇒2+1⇒3+2⇒5

右辺の5をピュタゴラス学派の秘数5と観る。
また、等分割均衡原理がここにははたらいていると観たのである。
 0は無分割の状態である。1は根源の一である。そして、2は陰陽分割である。しかし、これは、陰陽対極性であり、一を分母としている。そう、分母として、一(いつ)を観るといいのである。
 2/一、3/一、5/一となる。
 この原数原理は原点MPで作用していると思われる。
 そして、秘数5の場合は正五角形、五芒星が形成されるのである。
 そこで、氣イデアと組み合わせると、元数原理は、氣イデアに含まれる、あるいは、氣イデアそのものと言えるだろう。
 つまり、氣の展開として、元数原理を観たのだから、当然である。
 だから、氣元数原理、ないし、簡単にして、氣数原理があるということになる。
 この氣数原理が端的に、氣イデアないしイデアとなろう。
 ただし、氣一性を忘れないために、一(いつ)性を明示するようにした方がいい。
 だから、氣数一性原理とでも言おう。簡単にすれば氣数一原理である。あるいは、氣一数原理である。
 この氣一数原理が、結局、生命体に作用しているということになる。もちろん、部位によって、作用は多様と考えられる。
 生命体の物質はこの気一数原理によって形成されるものである。しかし、今日の自然科学は、ただ、生命体の物質のみを観るだけである。
 もう少し観ると、氣一数原理は氣の波動・振動をもっているから、当然、波動性をもつ。だから、氣一数陰陽波動があるということになる。
 簡単にすれば、氣一数波動があるということである。
 結局、生命体、生命有機体、氣的有機体を創っているのは、この氣一数波動であるということになる。
 氣一数波動が、生命有機体のイデア、本体、本質となる。
 しかし、今日の唯物科学・技術は、生命体の基底として、物質を観るだけであり、そのため、氣一数波動の現象的展開を阻害するような物質を生産しているのである。
 そう、ここで、もう少し、理論を加えよう。つまり、氣一数波動とは、フラクタル的であるということである。
 当然、フラクタルはホロン的である。
 つまり、以下に述べたように、例えば、樹木の葉においても、そこには、樹木自体の氣一数波動原理が作用しているということである。
 全体(ホロン)が、個的部分に作用しているということである。
 とまれ、氣一数波動原理を唯物科学・技術は知らないために、途方もない反生命的物質を生成・生産しているのである。
 簡単に言えば、氣のない物質を生産しているのである。
反自然的物質を生産しているのである。
 そう、最後にわかりやすい例をあげれば、レモンのビタミンCと人工のビタミンCの相違点であるが、これは、当然、前者には、氣一数波動原理(氣)があり、後者には欠落しているといことになる。(シュタイナーの考えを敷延させると、人工物は氣の衰えたものである。)
 あるいは、陽光と人工照明の違いである。
 前者には、氣が背景・背後にふんだんにあるが、後者は、氣が欠落するか、衰えているのである。
 今はここで留めたい。

***************************

参照:
氣的現象体は、氣的全一力をもつ:氣一体としての生命体
テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合
昨日、森の中で思いついたが、単なる物質体とは異なり、生命体は、氣的一(いつ)性(氣一性、氣全一性、氣的ホロニズム)を持っていると考えられる。
 思うに、例えば、樹木の葉一枚においても、樹木の氣一性が内属していると考えられるのである。
 そう、いわば、樹木のイデアが葉一枚にも内属しているのである。分有という用語があるが。
 暫定的に、便宜的に、氣一性を氣イデアと呼んでおく。
 唯物科学・技術は、自然物、生命体に単に死せる物質を観るだけであり、自然物や生命体の氣イデアを観ていないのである。
 だから、医学、医療の場合、氣イデアと物質との関係を観ないで、単に、生命体の物質的末端・端末の物質的不良を観て、物質薬を造るのである。
 つまり、生命体、人体を物質機械と観ていて、不良の物質に対して物質薬等を施すのである。
 そう、物質薬(唯物薬)は、基本的に生命体の氣イデアがないのである。だから、それは反生命的であり、リスクが大きい。
 シュタイナーに拠れば、エーテル体(氣)と物質との相関に基づいて、治療行為をすべきなのである。
 西洋医学は確かに、この点が欠落している。中西医学はこの点で優位である。
 とまれ、氣イデア、氣一性、氣コスモス(氣宇宙、氣秩序)の観点が得られたのは進展である。
 そう、氣的宇宙の視点が重要なのである。
 氣的宇宙のメカニズム(力学)の解明が課題である。

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2015年05月03日 (06:05)

検討問題:氣と磁気:原点MP(Media Point)は虚軸即非実軸であり、日光と作業仮説する

図は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12021841996.html

検討問題:氣と磁気:原点MP(Media Point)は虚軸即非実軸であり、日光と作業仮説する

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

先に、氣哲理学の陰陽方程式凸i*凹i⇒±1において、電気と磁気が区別がつかないと述べた。
 否、正確に言えば、電荷は±1で説明できるが、磁気はいまだ説明できていないということである。
 ここで思いつきを言えば、氣の凸i陽と凹i陰が、磁気に関係しているのではないかということである。
 問題は原点のMP(Media Point)である。
 凸i*凹i⇒±1の陰陽方程式において、次元転換点であるMPの様態が問題なのである。
 ⇒±1は、いわば、結果を示している。
そして、先に、電子から電磁波を発生を考えた。
 そのときは、電気から電磁波が生まれることになる。
 ⇒+1(電子)に垂直に磁気(磁場)が生じる。
 ここで、以前に述べた、氣が実軸においても生起していることを確認したい。
 つまり、原点MPは虚軸と実軸との即非様態なのである。虚軸即非実軸がMPにおいて成り立つのである。(追記:即非とは、仏教学者、鈴木大拙の独創的用語で、A=B且つA≠Bという矛盾律が成り立つ論理を意味する。)
 つまり、氣即非量子(ミクロ)なのである。言い換えれば、氣的量子、氣的原子、氣的原子核、氣的電子、等々である。
 問題は量子領域における氣と磁気の関係である。
 両者は当然異なる。
 しかし、なにか似ている。
 電流と垂直に磁気、磁場が生じる。そして、氣は実軸とは垂直の虚軸に本来、存する。
 もちろん、磁気は現象界に帰属し、氣は(いわば)虚界に存する。しかし、氣は現象界にも貫入・浸透している。
 さて、ここで作業仮説であるが、虚性と実性の結合した存在を磁気ではないかと考えたいのである。
 原点MPにおいて、虚軸と実軸が即非的に結合している。ここにおいて、磁気が生起しているのではないだろうか。
 つまり、磁気は実は、電気以前の存在であるということである。
 つまり、氣⇒磁気⇒電気である。
 先には、電子から磁気を考えたが、それは、根源(MPにおける虚性+実性)からの派生と見るのである。
 いわば、亜氣、準氣としての磁気である。
 つまり、磁気的存在としてのMPである。
 そして、磁気から電子が生まれ、また、電子は磁気を派生するということになるのである。
 しかし、これは、かなりの矛盾だろう。
 虚性+実性としてのMPであるが、それは、果たして、磁気と言っていいのだろうか。
 思うに、それは、電磁波ではないだろうか。
 つまり、氣⇒電磁波である。
 MPに存するのは、電磁波ではないだろうか。
 そして、⇒±1とは、電子でもあるし、磁気でもあるということではないだろうか。
 つまり、氣⇒(⇨電磁波)±1(電子、磁気)ではないだろうか。
端的に言えば、原点MPに存するのは光ではないだろうか。
つまり、氣⇒(⇨光)±1(電子・磁気)である。
 そうならば、これまでの見方を大幅に変えなくてはならなくなる。
 しかし、原点MPを光とするのは、実は、整合的なのである。なぜなら、MPは精神的には「こころ」(kokoro;kkr)であり、それは、光だからである。
 しかし、実際のところ、このようにしても、実は「大幅」には変わらないのである。
 作図する。MPの光とは正しくは、日光、陽光である。


            凸i陽(原光:自我)
                 |
                 |
  第二象限(重力)     |   第一象限(光)
                 |
-1(原子核)_____MP(日光)_____+1(電子)
                 |
  第三象限(暗黒物質)   |    第四象限(氣)
                 |
                 |
            凹i陰(原闇:感性体)
    
          陰陽ガウス平面図


以下は磁気NSを加えた作図である。

             凸i陽(原光:自我)
                 |
                 |
 第二象限(重力)      |  N   第一象限(光)
                 |↗
-1(原子核)_____MP(日光)_____+1(電子)
                ↙|
               S  |
 第三象限(暗黒物質)    |       第四象限(氣)
                 |
            凹i陰(原闇:感性体)
    
          陰陽ガウス平面図


第一象限の光であるが、これは、電磁波にした方がいいかもしれない。そして、MPの日光を光とする。

            凸i陽(原光:自我)
                 |
                 |
 第二象限(重力)      |  N   第一象限(電磁波)
                 |↗
-1(原子核)_____MP(光)_____+1(電子)
                ↙|
               S  |
 第三象限(暗黒物質)    |       第四象限(氣)
                 |
            凹i陰(原闇:感性体)
    
          陰陽ガウス平面図

追記:上記は、MPの扱いがこれまでとは異なる。
 MPを光にすると、重力と光の対がなくなってしまい、不均衡が生じる。
 しかし、ココロは光という考えは適切だと思っている。だから、やはり、MP=ココロ=光となるだろう。
 そして、重力と対になるのは、上記では、電磁波である。
 これはおいておこう。
 問題は光から原子核と電子、つまり、水素原子が生まれるということである。
 敷延すれば、光から森羅万象が生まれるということになる。
 「光あれ!」である。
 これは、マニ教的でもある。
 しかし、MPは陰陽共振と陰陽非共振がある。
 光とそれはどう関係するのか。
 光も二種類なのか。
 陰陽共振の光と陰陽非共振の、二つの光があるのか?
 どうも違うように思う。
 本稿は検討し直さないといけない。

追記2:思うに、光が分化して、原子核と電子になると見ればいいのではないだろうか。
 そう、光であるが、これは、虚軸のMPにおいては、unseen light, invisible light, dark lightである。これは、D. H. ロレンスのdark sun あるいは、シュタイナーの霊的太陽に通じよう。
 つまり、光、日光、陽光は背後があるのである。氣的太陽である。氣日である。
 そう、若い頃見た、海辺での真夏の太陽の空は、闇が広がっていた。闇の日光、闇の太陽である。

追記3:MPを光にするとやはり、不具合が生じる。
果たして、光が物質を創るとしていいのだろうか。
氣が物質を創るのは正しいが。
 私は陰陽共振を肯定的に捉え、陰陽非共振を否定的に捉えているが、それは間違いではないだろうか。
 確かに、自我は陰陽非共振であるが、必要なものだろう。
陰陽非共振がなければ、知覚が生まれないのではないだろうか。なぜなら、陰陽共振は調和であり、一体化であるからである。それは、対象と一であり、知覚はないだろう。
 そう考えると、ココロとは、陰陽非共振と陰陽共振の対のものである。知覚と一体的感覚が共生しているものということになる。
 それは正しいだろう。
 光も、日光もそのようなものとして見ていいのだろう。
 光は観ると同時に、観られるものということになる。
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